「地球はとっても丸い」プロジェクトの面々が心を込めてお届けしたエッセイです。
第3回 大切な基礎工事
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    隔月連載 「新居は再生古民家〜スウェーデン流〜」
    田中ティナ(在エステルスンド・スウェーデン)


    「家の造りは人間の体によく似ている」、とリノベーションを観察しながら思った。私たちの生活に大切な衣食住のひとつ、「家」は安心して生活を営むためには欠くことのできない存在だ。私たちを包み込み守ってくれるこの空間は無機質ながら、実はまるで生き物のようなのだ。上下水道、電気、暖房などなど、ひとつが欠けても生活に支障が出るのは、まるで病気になると思うように動かなくなる、私たちの体そっくりといえるだろう。
     
     去年は不要物をかたづけて柱や梁をチェックし、屋根と窓を新しいものに取り替えた。つまり、体のオーバーホールと骨格の確認したわけだ。

     そして今年になって上下水の配管、電気の配線、床暖房、断熱材などを手配した。壁や床のベースを人間の皮膚と考えれば、それらは皮膚の下に配された内臓にたとえられるだろうか。もう少し細かく考えてみると、飲み水を運ぶ上水は動脈で汚れた水を運ぶのは静脈、電気のコードは神経、暖房関連の配管はエネルギーを口からとって排出するまでの消化器官というのはどうだろう。どの管も普段暮らしているときには壁や床の内側に隠れているので見ることはできないし、とくに意識することはない。でも、快適に生活するために家にはなくてならないパーツなのだ。
    床下にパイプを通すための溝を掘る。水が流れるように下水管は傾斜をつける。電気の配線は家の隅々まで行き届くように全長400m使用  
    (左から)1:床下にパイプを通すための溝を掘る。
    2:水が流れるように下水管は傾斜をつける。
    3:電気の配線は家の隅々まで行き届くように全長400m使用

    左から。水道用のパイプは冬でも凍らないように、床に断熱材を敷いてから、水とお湯がお互いに熱を奪いあわないように離して設置。トイレのタンクは壁の中に入るタイプ。下水用管はトイレと洗面所用(左グレー)で別サイズを用意。電線は事故のないように3から5色に色分けされている
    1:水道用のパイプは冬でも凍らないように、床に断熱材を敷いてから、水とお湯がお互いに熱を奪いあわないように離して設置。
    2:トイレのタンクは壁の中に入るタイプ。下水用管はトイレと洗面所用(左グレー)で別サイズを用意。
    3:電線は事故のないように3から5色に色分けされている。


     そう考えてみると、配管が整った今、残りの仕事はいつも目にする部分のペンキ塗り、壁紙と床材貼り、そしてバスルームのタイル貼りなどインテリア部分の作業。さしずめお化粧やお肌を整える美容マッサージといったところだろうか。

     さて、スウェーデンは国土の一部が北極圏内にあって、私の住む地方は中部、ノルウェーとの国境より、北緯63度11分のあたり。気候的には寒冷氷雪気候地帯にあたる。私の経験では、夏は30度を超えることはなく湿度も低いので快適そのもの。逆に冬はマイナス35度を記録するほど冷え込みが厳しい。

     「天気にあった服装を選ぶならこの世に悪天候は存在しない」という言い伝えがあるが、寒さの厳しい冬でも防寒対策をしっかりして、子どもは外でそり遊びをしたり、親も仕事や買い物にでかけたり普段の生活を営んでいる。もちろん、家の中は家庭によってことなるが、たとえば私たちの住む集合住宅(集中暖房)では室温は23度くらいになるようにヒーターがコントロールされている。つまり、外は寒くても家の中は快適温度というわけ。そこで、この地方で家を建てる場合、冬の室内を快適な温度に保つための工夫が必要になる。昔は断熱材にオガクズをつめていたけれど、今はガラス繊維製のグラスウールを使用するケースが主流だとか。改築中の我が家、壁には14cm、床下は26cmとたっぷり断熱材を入れ込んだ。また、上昇する熱が屋根から逃れるのをストップするため、屋根裏の部分にも注入式でフォームの断熱材の使用を予定している。

     また、断熱材を入れるにしても、室内と外気の温度差があるため結露して壁の中に湿気がたまると、カビやきのこが生えたりして見えない部分にダメージが発生する場合もある。そんなことが起きないように、木の壁と断熱材の間にビニールシートを挟んだり、窓枠の部分は、断熱材の間に空間を設けるなど、場所によって最適な方法を選ぶことが大切だ。
    お湯の流れを計算しながら床暖房のパネルを設置。金属のパネルの上にお湯が流れるパイプを埋め込む。断熱材を設置しながら床の水平を調整
    1:お湯の流れを計算しながら床暖房のパネルを設置。
    2:金属のパネルの上にお湯が流れるパイプを埋め込む。
    3:断熱材を設置しながら床の水平を調整


     熱効率を高めるための工夫は断熱材ばかりではない。換気にも一役買ってもらうことにする。昔ながらの木造家屋なら、適当にすきまがあって自然に換気ができるのかもしれないけれど、現代の家は冬の寒さをシャットアウトするため気密性がとても高い。我が家で選んだ換気システムは、取り込む外気を家の中で使った暖かい空気で温めてから室内に送り込むというもの。熱交換方式とでも言えばよいのだろうか。何事も無駄にせず、使えるものはなんでも活用する精神がこのシステムにも発揮されているようだ。
     
     街中の暖房システムはコミュニティーがまとめて熱を供給するタイプが主流だが、郊外の一軒家となると行政のインフラも整っておらず、個人で準備するのが通常だ。ソーラーシステム、電気の熱で沸かしたお湯をパネルヒーターに通す、また薪を使ったストーブなど暖房の方法は多種多様。検討した結果、私たちはメインに地中熱を利用するヒートポンプシステムを採用することに決めた。これは、パイプを地中に埋め込んでその中で不凍液などをポンプで循環させ、地熱からエネルギーを得て水を温め、その水を暖房に利用するというもの。もちろんなにが起こるか誰にもわからないけれど、最初にパイプ、ポンプや機械本体などに投資すれば、半永久的に熱を供給してくれるシステムと聞いた。再生可能なエネルギーであるところも気にいった理由のひとつだ。

    ≪田中ティナ/プロフィール≫
    2004年よりエステルスンド在住。ライター、写真撮影、翻訳業。冬はフリースタイルのジャッジとして活動。この夏、年内の引越しを目標に夫の母から譲り受けた古民家を改装に励んだが、諸事情により引越しは来年に延期。現場では親方である夫のアシスタント、といっても実態は「かたづけ専門家」。

    | 『新居は再生古民家〜スウェーデン流〜』/田中ティナ | 05:48 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
    第2回 門限について考えたハロウィン
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      不定期連載「バンクーバー暮らしの歳時記」
      文:ふじき みきこ


       子どもがいると、ハロウィンのある10月はコスチュームの用意やら、関連イベントへの出席、さらにトリック・オア・トリートで訪れる子どもたちへのお菓子の調達、おばけカボチャの準備などで忙しい。ただし、コスチュームやハロウィン・イベントの参加は、一般的には小学生(グレード7年生、12〜3歳)までだ。ティーンエイジャーになると、学校でパーティがある場合を除いては、親の出番は大してない。

       昨年、14歳の息子に予定を聞くと、学校でパーティなどはないし、コスチュームは不要だという。今年は楽チンと、のんびりモードで10月を過ごしてきた。

       しかしハロウィン当日になって、母である私を悩ませる事態が発生した。パーティはないが、友人のタイラーの家に男友達7人ほどで集まるという。タイラーは小学校からの友達で、我が家から歩いて5分ほどの距離に住んでいる。下の子どものトリック・オア・トリートの付き添いがてら、途中で上の子どもの様子をみることもできる。ほかに集まるメンバーも、ほとんどが小学校の仲間で、私たち夫婦の知っている子どもたちだ。心配しなければならないような顔ぶれではなかった。

       「OK。じゃあ、9時になったら電話をしなさい。迎えに行くから」と言い渡すとブーイングにあった。
      「9時に帰るヤツなんていないよ」
      夫も「9時はひどい」と息子に同情的だ。

       14歳で夜9時は早いとは思わなかったが、カナダではそんなものかと、
      「じゃあ、1時間遅らせて10時」
      と告げた。息子にとっては10時でも早かったようで
      「明日は休み(昨年は金曜日だったため、翌日は学校も休み)だし、みんな11時頃までいる予定だよ」「タイラーのお母さんもOKって言ってるよ」
      とねばる。

       友達が一緒だ。ショッピングモールなど繁華街に出かけるわけではない。よく知っているタイラーの家なので、はめをはずすといっても知れている。ホストのお母さんが了解しているのなら許可しようか、しばらく悩んだが、問題はお迎えだ。正直言うと11時に迎えに行くのが面倒だった。

       すぐ近所だし、同じ方向に帰る友人もいるので、子どもだけで帰らせても良いかとも思う。でも、少なくとも私の周囲の保護者は14歳に夜中に子どもだけで歩かせたりしないのだ。

       一方、夫は「もう大きいし、タイラーの家はすぐ近く。一人で帰ってきても大丈夫では?」という態度だ。私も神経質になりすぎかと思うが、2年前に市内で18歳の青年が行方不明になり、まだ見つかっていない。後悔するぐらいなら最初から毅然とした態度で臨むべきではないか。「間をとって10時半。これ以上は妥協しません!」と話を打ち切った。

       ハロウィンの一件で、子どもの門限について考えさせられた私は、同じ年頃の子どものいる友人に「お宅の門限は何時?」と聞いてまわった。あらかじめ許可を取った場合は9時から10時という家庭が多かったが、驚いたことに、「うちは先週、帰ってきたのは夜中の1時半よ」という人もいた。「よく知っている家で、DVDを見るので、終わったらそのお宅のお父さんが送ると言うのよ」

       1時半になるのなら、泊めてもらったらいいのに……と思わなくもないが、外泊の癖をつけるよりは、深夜すぎでも帰ってこさせたほうがいいのだろうか。

       今年のハロウィンは日曜日。翌日は学校なので、あまり遅くならないうちに帰ってきてもらいたい。

      *********************

      夫が子どものころは、トリック・オア・トリートで手作りのクッキーをもらったこともあるそうだ。残念ながら、異物が混入していたり、お菓子を食べて病気になる子どもがいたりしたために、最近では店頭販売のパッケージされたものしか、あげないし、もらわない。義母も昔はクッキーを配っていたということで、レシピを紹介しよう。
      ハローウィーン用の指クッキー

      レシピ
      シュガークッキー(型抜きクッキー)


      材料
      グラニュー糖 1C 
      バター(またはマーガリン) 1C
      卵1個
      バニラエッセンス 小さじ1

      A
      小麦粉 2C
      重曹 小さじ1

      (1Cは250cc)

      1.オーブンを175℃に予熱する。
      2.粉類(A)を混ぜておく
      3.バターをクリーム状に練り、砂糖を少しずつ加えて混ぜる。
      4.卵を溶いて少しずつ加えて混ぜ、バニラエッセンスを加える。
      5.2を、4に混ぜる。
      6.打ち粉をした台の上に伸ばして、好みの型に抜く。
      7.オーブンで10分焼く。

      焼き時間はクッキーの大きさに応じて変更。ほんの少し大好きなナッツも入れた。
      指クッキー

      ハロウィンにはコウモリやお化けの型以外にも、指をイメージした形のクッキーも作る。爪の部分はカナダではアーモンドのスライスを使うのが普通。今回は花豆で代用した。血のイメージで、赤いアイシングをノリ代わりに。カナダのレシピでは食紅を使うが、私は冷凍保存しているイチゴなどをつぶして、赤い水分を利用している。

      ≪ふじき・みきこ/プロフィール≫
      バンクーバー在住のフリーランスライター。12歳の娘は、今年はトリック・オア・トリートではお菓子ではなく、フードバンクへ
      | 『バンクーバー暮らしの歳時記』/ふじき みきこ | 02:16 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
      151号/田中ティナ
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        アパートから見える市民スキー場も雪化粧しはじめ、9月からはじまった狩猟シーズンも終盤にはいった。

        ハンターたちの標的になる野生動物はさまざまだが、メインはムース。自然界のバランスをコントロールするため地区ごとに、また性別や固体のサイズ(大人か子ども)で撃つことのできる頭数が決められている。森の中にはトナカイも暮らしてはいるが狩の対象にはならない。というのも、トナカイは野生動物ではなく家畜だから。オーナーはサーメ人だ。

        サーメの人々は、独自の言葉と文化を持ち、古くからスウェーデン、ノルウェー、フィンランドなどの北部地域で遊牧の民として生活を営んできた。現在では、町に定住するサーメ人も多いと聞くが、国境線がひかれる前から行われてきた、トナカイを遊牧するという彼らのライフスタイルを、スウェーデンでは国で保護している。たとえば、森の中を歩き回っているトナカイがなにかの拍子に車道に飛び出して交通事故にあった場合、運転手は警察に届ける義務がある。というのもトナカイはサーメ人の所有物なので、トナカイが事故死すると政府が保証金をオーナーに支払うのだそうだ。オーナーは耳につけられた印などで判別するという。

        スウェーデンでは法律に「自然を楽しむ権利」が盛りこまれており、人々のバックボーンに「他人の権利を侵害したり環境を壊さない限り、誰でも自由に自然を楽しむことができる」という基本理念が浸透している。とは言うものの、昔からトナカイとともに自由に移動してきたサーメ人と、自分たちの土地をトナカイに気ままに闊歩してほしくないという農場主たちとの軋轢は存在する。

        土地を自由に移動する権利か、はたまた土地の所有権が優先されるのか? 一筋縄では解決できないセンシティブな話し合いが続いている。私としてはトナカイの幸せを願うばかり。

             (スウェーデン/エステルスンド在住 田中ティナ)
        | こちら、地球丸編集部! | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
        第3回 幼稚園から「放り出される」?
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          隔月連載 「ドイツ田舎の幼稚園」
          文:たき ゆき(ドイツ・キール在住)

           使い古された言い方しかできないのが歯がゆいが、ほんとうに「早いもので」次女もとうとう幼稚園とお別れする時が来た。日本ならほころびはじめた桜の花の下、おめかしをした親子が……というところだが、ここドイツの田舎では、卒園が夏休み前の7月中旬で、「○○式で区切りをつける」という文化はないから、卒園証書もなし、正装も必要なし、となんだかカジュアルな幕引きである。

           次女が3年間通った田舎の幼稚園では卒園のお別れ会を「放り出し」と呼ぶ。その理由は後で記すが、幼稚園ラストデーとなる当日も、園児たちは午前中をごく普通に過ごす。親や祖父母が三々五々集まってくるのが12時ごろ。幼稚園の建物にある大きなテラスでお別れ会が始まる。毎年スタートには、寸劇や合奏・合唱など、趣向をこらした出し物があるが、今年は卒園する子どもの数がたった3人と少ないので、ひとりひとりが時間をたっぷりとり、手品を披露するとのこと。ネタがばればれの簡単な手品でも、大勢のひとを前にきちんと話し、物怖じせずやりとげる姿をみれば「ここまでよく大きくなったものだなぁ」などと、やっぱりしみじみ思ってしまう。

           雰囲気がぐっと盛り上がるのは、先生が卒園児ひとりひとりに、想い出を語りかけながら、手作りのお祝いやファイルを渡す場面だ。このファイルには、それまで子どもたちが幼稚園で描いた絵や、イベントで撮影した写真、小学校準備コースで勉強した内容などがとじてある。言ってみれば幼稚園の3年間がぎゅっとつまった記念ファイルなのだ。受け取りながら「ありがとう」と言う子どもひとりずつをしっかり抱きしめて、先生の目もだんだんうるうるしてくる……。次は親たちの出番だ。なぜか今年のまとめ役になってしまった私は、先生や幼稚園のためのプレゼントやカードなどをすべて用意した。なんとか気に入ってもらえるものが贈れたようで一安心。また、これまでのお礼のスピーチもなんとか無事に終え、ほっとしたのもつかの間、会はもう終盤、クライマックスを迎えようとしていた。

           前もって大勢の親たちに声をかけ、お願いしておいた効果があって、みんながすばやく移動し、アーチを作ってくれた。色とりどりの花で飾り付けられたアーチの両側を大人たちがかかげ、小さな子どもたちはふたりずつ組になって手をつなぎ高くかかげる。このアーチをくぐりながら、杖を手にした卒園児たちは幼稚園を後にする。この杖はドイツ語でヴァンダー・シュトックと呼ばれ、登山や巡礼、マイスター制度の修行などに行く人がよく手にしているものだ。ドイツの伝統では、今まで受けた庇護のもとから去ること、そして、何かを学ぶための一歩を踏み出していくことのシンボルとされている。次女も卒園前の数週間、自分で、ころよい枝を探し、彫刻をほどこし、色づけをし、肩に担ぐ部分には、これも自分で始めて縫った子袋を結わえ付けて、自慢の杖を作った。いわば幼稚園で作り上げた最後の作品となる。次女が、半分自慢げに、でも少しはにかんで歩いてくる。感慨深く眺めている暇はない。出口の門のところにはメインイベントが待っている。母親の私は大事な一瞬をカメラに収めなければならないのだ。
          自分で作ったヴァンダー・シュトック
          自分で作ったヴァンダー・シュトック

           出口には今まで3年間次女たちを見守ってきてくれた先生ふたりが大きくて丈夫な布を持って待っている。次女がやってくると、ふたりは門の両端に立ち、布を大きく広げて真ん中に次女を座らせた。ブランコよろしく1回2回と布を前後に揺らせて「明るい未来へとんでいけー!」と放り出された次女は、今、名実ともに幼稚園を後にしたのだった。
          未来へ「放り出される」
           未来へ「放り出される」

           それでも「放り出されてすぐ幼稚園を去るというのはけっこう名残惜しいものだよ」と昨年卒園した子の親がアドバイスしてくれたこともあって、今年はみんなで風船を飛ばすことにした。これも手際よくみんなが協力してくれて、お父さんふたりが風船をガスでふくらまし、残りの母親たちは、子どもたちがメッセージをしたためた葉書をくくりつける。「1、2の3!!」で舞い上がった風船をながめるみんなの満足そうな顔を見回して、やっと少しセンチメンタルな気分にひたれた母親の私だった。
          風船、高く飛んでいくといいな
          風船、高く飛んでいくといいな


          ≪たき ゆき/プロフィール≫
          レポート・翻訳・日本語教育を行う。1999年よりドイツ在住。ドイツの社会面から教育・食文化までレポート。ドイツ人の夫、9歳の長男、6歳の長女、4歳の次女とともにドイツ北部キール近郊の村に住む。
          | 『ドイツ田舎の幼稚園』/たき ゆき | 03:08 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
          第2回 シングルで生きる女たちが探すもの
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            隔月連載「フェミニストは嫌い?—フランスの女性事情—」
            文:夏樹(フランス・パリ在住)


             夏の初め、女ともだちふたりと夕食にでかけた。待ち合わせ場所は、パリ19区の小さな広場に面したレストランのテラス。はじめは3人だけだったのが、一学年の終わりだったからか、やっと一息つけたママンたちも何人か合流し、最終的には思春期の子どもたちをもつ40歳から50歳前半の女性が7人ほどテーブルを囲むことになった。

             話しているうちに気づいたのは、私以外はみんな離婚していること、パートナーはいても、ふだんはシングルで暮らしている人たちばかりであった。

             現在、フランスの離婚率は3分の2で、また、そのうちの3分の2は女性から申し出る形での別れだという。そしてフランスだけではなく、EC諸国全体で、離婚いかんにかかわらずシングルで生きる人の率は年々増え、とくに長期間勉強を続けキャリアを積みたい女性は遅く結婚する傾向になってきているそうだ。注(1)

             歴史をふりかえってみると、女性がシングルで生きることができるようになったのはつい最近のことだということがわかる。長い間、女性は未婚であろうと未亡人であろうと両親や兄弟と暮らすのが普通だった。近世以前は、独りで生活する女性は、社会システムから疎外された狂女や魔女とみなされる人々だけだったのではないだろうか? 19世紀に都市化が進み、教師、看護婦、ブティックの店員などの職が大都市にできるようになると、地方から都会に出稼ぎに出て来て、自力で独身生活をする女性がでてきた。これがキャリアウーマンのはしりかもしれない。

             そして、第一次世界大戦 (1914-1918)。働き盛りの男性がいなくなった国で、残された女性たちや未亡人たちは男の職場でも働き、経済力をつけ、シングルで子どもを育てていく術を身につけた。1919年には、女性が大学入学資格を取得し、男性と机を並べて高等教育を受けることができるようになった。

             しかし、歴史は一歩進んでは二歩戻りし、進歩と反動の間をさまよいながら進んでいく。戦争で人口が激増したため、1920年以来、子沢山の母親は祖国に貢献したとして国からメダルを贈られるようになり、女性たちはふたたび家庭中心の生活に引き戻された。しかし、モードの分野では別のチャレンジが試みられていた。シャネルがこれまで女性の身体を締め付けていたコルセットを使わない服をデザインし、紳士服の素材で女性服をつくるなどの試みをして成功したのもこの時代だ。1930年代にはマレーヌ・ディートリッヒやキャサリン・ヘップバーンがパンタロン姿で写真に登場するようになった。

             そして、第二次世界大戦(1940-1945)。国中の男性を前線に送り出した、相次ぐ二つの大戦を経た女性たちは、自立することを余儀なくされた。1968年のパリ5月革命は、そんな母親を見て育った若者たちによって引き起こされた市民革命で、女性の生き方や結婚の意味を根底から覆し、シングル女性が急増するきっかけにもなった。一般には、世界中の70年代学生運動のモデルにもなった反体制運動として知られているが、女性たちにとっては、まず、中絶法やピルの合法化を要求する革命であったからだ。「Jouir sans entrave!」(自由に感じたい!) をスローガンに掲げたこの運動は、ビート世代の自由恋愛の観念ともに、性解放の要となり、女性たちが子孫を増やすためだけではない性の在り方も望んでいることを、社会に認めさせた。

             自分の選択でシングルになった彼女たちがよく言うのは、「日常生活のなかで擦り切れていくのが嫌になった」だ。恋人同士だったときの強烈な一体感、めくるめくような感覚がなくなり、惰性で一緒にいるのが嫌になった、母として妻としてだけではなく女性として生きたい、という確固たる意志表示をする。いや、そういうことを口にすることができるようになったということが、ある意味では革新的なことではないだろうか?

             もちろん、「それだけのために20年一緒に暮らした相手と別れる?」とも思わないではないが、もう若くない女性たちにとっても「性」の問題が人生のなかで重要な比率を占めることになってきていることも確かだ。「まず、私が女性として幸せでなければ、子どもだって幸せになれない」という言葉をよく聞く。これは、恵まれた経済状況にあるごく一部の進歩的女性だけの声ではない。ごく一般の庶民の女性の声だ。

             フランスのフェミニズム運動がアメリカのそれと趣きを異にするのは、この点、ではないだろうかと思う。アンドレア・ドウォーキンとキャサリン・マキノンが中心になったアメリカの80年代ラディカルフェミニズム運動が、「男性は生まれながらに女性を抑圧する存在であるから断罪しなければならない」という趣旨のもとで男性と女性を対立するものとしてとらえたのに対し、フランスのフェミニストたちは、自分たちの生き方の選択肢を広げるためには、男性の協力も必要だということを意識するようになったといってもいいかもしれない。「性」の問題は、相手である男性あってのことだ。今も注目を浴びる著作を書き続けている哲学者でフェミニストのエリザベト・バダンテール氏は「フェミニズムの課題は、私たちがどのような関係を男性と結べるかである」と言っているが、フランスのフェミニズムの特徴をよく表現していると思う。

             「性」の問題は私たちの人生のなかで大きな部分を占めるようになった「人生、それしかないの?」などというシニカルな反応でごまかせなくなってきている。

            注1: Jean-Claude KAUFMANN著 『La femme seule et le prince charmant』
            p.283, Paris, Pocket

            ≪夏樹/プロフィール≫
            パリ在住フリーライター。フランスの長い歴史や、政治、文化を正確にふまえたうえで、庶民の視線を忘れずに記事を書くことをモットーにしています。
            http://natsukihop.exblog.jp/
            | 『フェミニストは嫌い?;フランスの女性事情』/夏樹 | 02:45 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
            第1回 第1回 列車の旅は権力次第? 山西省・大同 その1
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              新連載「中国つれづれ親子旅」
              文・写真:林秀代(日本・神戸在住)

               夫の転勤によって北京に移り住んでから2ヶ月が過ぎ、10月の国慶節(建国記念日)の休暇に私達夫婦と息子の3人家族で国内旅行に出ることにした。行き先は中国三大石窟の一つといわれ、世界遺産に登録されている雲岡石窟(注1)のある山西省、大同。初めての中国列車の旅。

               10月1日の国慶節を軸とする1週間の休暇は、春節(旧正月)ほどでないが、人の移動で駅や空港は人であふれかえる。中国国内を旅したこともない、カタコト中国語の子連れ外国人が容易に動ける時期ではないので、私たちは旅行代理店のツアーで行くことにした。ツアーといっても客は私達家族だけで、ツアーに組まれている宿や列車の切符、ガイドなどの手配を依頼するのだ。

               北京から大同へは夜行列車に乗って翌朝には到着する、広い中国では手軽な旅といわれている。出発の2週間ほど前、旅行会社に今から手配して国慶節に大同へ行けるかどうか尋ねると、「大丈夫です」という軽快な返事。だがツアーの申し込みをすると、「おそらく、列車の切符は取れると思います。安心してください」と話しが怪しくなってきて、案の定「切符が取れた」という返事はなかなか来ない。その後北京から大同行きの切符が取れた知らせは入ったが、「帰りの分はまだわからない」と予定は未定。

               中国の寝台車両には大まかに一等の軟臥(ルワンウォ)と、二等の硬臥(インウォ) の二種類ある。私たちが待っている切符は軟臥。2005年当時軟臥にのる乗客の多くは、共産党幹部や富裕層、そして外国人で、旅行会社が説明するには、限られた枚数しかない切符を買うのはたやすいことではないらしい。また切符が販売されているのは、乗車駅かその街の販売所なので、往路は北京で買えても、復路は大同で買わねばならない。

               いったんは「帰りの切符が取れない」という連絡が旅行会社から入ったが、「二日後に大量のキャンセルが出るらしいので、大丈夫」という預言者のような返事が舞い込んで来た。どうやら切符を買うには、権力やコネも必要らしい。結局、出発直前に帰りの列車の切符も無事取れて、国慶節の旅行が決定! 何事も直前になるまでわからないのが中国流、それにしても旅行に出るまでにくたびれてしまった。

               初めて訪れた北京西駅は北京駅と並ぶ巨大なターミナル駅で、毎日多くの長距離列車が発着する。人々が持つ荷物はスーツケースだけでなく、飼料や穀物の袋をカバン代わりにして肩に担いだり、風呂敷を背負ったり、あるいは棒に何個もカバンをひっかけて天秤のように運んだりとさまざまだ。意気揚々と目的地に向かう人々がひっきりなしに通って行く。

               軟臥など一等乗客の待合室には、シャンデリアに革張りの大きなソファがあり、飲み物も注文できて権力の匂いがプンプン。一方硬臥の大部屋のような待合室は入っただけで人の多さと、感じたことのない熱気に後退りしてしまうほど。乗車するときはそれぞれの待合室から改札が始まり乗車するが、硬臥は改札前で行列をつくり、乗車する時には人と荷物でおしくらまんじゅう、軟臥は優先乗車で人の多さを何事も無くかわして、列車に乗り込む。外国人の多くはこの「権力の間」に身を置いているのだ。
              北京西駅一等乗客の待合室
              北京西駅一等乗客の待合室

               軟臥のコンパートメントは寝台が上下の二段で、四人一室。三人家族だと、他人が一人同室になるのだ。これをわずらわしく思い、もう一人分の切符も買い上げて、一家で完全個室として使う外国人家族もいるらしい。同室になったのは、自称フランス人という中年の男性。もちろんフランス人というのは真っ赤なウソでジョーク、山西人なのか大同で石炭関係の仕事をしているという。こざっぱりとした身なりで堂々とした話しぶりから見ても、会社幹部なのだろう。

               検札でパスポートと切符を見せると、パスポートだけが返された。切符は後で返してくれるらしい。もう夜も遅いので、少し車内の雰囲気を味わったら、すぐに就寝。息子はパジャマに着替えたが、知らないオジサンとこの部屋で「夜を明かす」ので、私は着替えられなくなってしまった。5歳の息子と私はそれぞれ下段ベッドで眠りについた。
              一等寝台、軟臥(ルワンウォ)のコンパートメント
              一等寝台、軟臥(ルワンウォ)のコンパートメント

               夜中にふと気づくと息子がいない! 息子は寝相が悪いので下段に寝かせたのだが、やっぱりベッドから落ちて床で寝ていた。暗い中引き上げようとすると、窓の近くにあった熱いお湯の入ったポットを抱きかかえている! ポットといってもコルクのふたがあるだけで、倒れたらお湯がこぼれそうなもの。まずはポットを腕から静かに抜き、それから息子をベッドに引き上げた。ポットが倒れていたらと思うとゾッとして一瞬で目が覚めてしまった。

               朝、車掌が「もうすぐ大同駅」と起こしに来て、切符を返してくれた。最初の検札の時には切符を預けるのは不安だったが、寝台列車では乗り過ごす心配がなく、しかも切符を紛失することもなくて案外良いシステムと実感。

              大同行きの列車のプレート
              大同行きの列車のプレート

               やっと着いた念願の大同駅には日本語を話すガイドとドライバーが迎えに来てくれていた。

                   山西省・大同 その2に続く

              注1: 雲岡石窟の「岡」は「崗」と表記されることもあるが、中国では一般的に「岡」が使われている

              ≪林 秀代(はやし ひでよ)/プロフィール≫
              2005年から2008年まで中国・北京在住。現在神戸在住。フリーライター。北京滞在時より中国の生活や育児、北京の街や中国の旅を題材にしたエッセイや記事を書いている。帰国後は神戸の華僑からの聞き書きも始めている。‘99年生まれの男児の母。
              | 『中国つれづれ親子旅』/林 秀代 | 01:29 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
              150号/マイアットかおり
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                去年から仕事でプラハに行く機会がかなり頻繁にあり、よく数えたら年の2ヶ月くらいはプラハで過ごしていることに気づいた。プラハはヨーロッパでも美しい町のひとつに数えられているが、特に夜のプラハ城は圧倒的な迫力で見る者の心を打つ。町はメトロとトラムが整備され、どこへ行くにも公共の交通機関が使えて非常に便利だ。

                東ヨーロッパに特徴的なのは、このメトロとバス、トラムの切符システムではないかと思う。日本では膨大な数の人が使用するからか、切符は目的地まで買って必ず改札を通らなくてはならない。しかし私が住むフランスや、ヨーロッパの国々では、切符の購入は自己申告制になっている。つまり切符を買っても買わなくてもメトロやバスには乗れてしまうのだ。もちろん抜き打ちで切符を持っているかどうかを確認する車掌に声をかけられることがあるが、プラハ生活がまだ短いからか、まだお目にかかったことはない。プラハに長く住む友人に聞いても、見たことがないと言う。

                これに似て非なるものに、税金の申告がある。税金の申告も、日本ではサラリーマンなら必ず源泉徴収されるが、フランスでは自己申告制だ。もちろんサラリーマンなら天引きされる部分もあるし、雇用形態だっていろいろあるだろうし、所得の申告はすべて自己申告となっている。

                切符を持っているか持っていないか、所得を得ているか得ていないか、これらの申告を個人の意志に任せてしまうヨーロッパは寛大なのだろうか。それとも複雑な機械を設置する予算もなく、1人1人の切符や税金を計算したり確認したりする技術も後れているからなのだろうか。

                これは、「信用乗車方式」という一つの乗車形態であるということをつい最近知った。ヨーロッパは寛大だと思っていたら大間違い。友人の友人でつい最近、この切符の抜き打ち検査にひっかかり、たまたま切符を持っていなかった(自業自得です)ために、理由も聞かれずそのまま警察に連行され、いきなり拘留されてしまったという人の話を聞いた。切符を見せられなかったら罰金は何百ユーロにもなるという。

                同じ地球でも所違えば品変わる。ヨーロッパでメトロに乗るときは必ず忘れずに正しい切符を買うようにしたい。言語が分からなかったというのはどうやら言い訳にはならないらしい…。

                   (フランス在住 マイアットかおり)
                | こちら、地球丸編集部! | 00:10 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                第2回 片付け終了、さあ家造り
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                  隔月連載 「新居は再生古民家〜スウェーデン流〜」
                  田中ティナ(在エステルスンド・スウェーデン)

                   2008年にゴミをかたづけ、必要のない壁や仕切りを取り壊したので家の中はほぼがらんどう。部屋の真ん中に積みかけの煙突が鎮座している。

                   家を「造る」段階に移行した2009年の目標は屋根と窓を新しいものに交換し、1階の床をとりのぞくこと。大工作業の基礎知識のない私にとって、ちんぷんかんぷんの分野に突入だ。体力的にも非力な私ではアシスタントもおぼつかないので、仕事の効率を考えて5月と6月の2カ月間、夫の友人、ヨーナスに助っ人を依頼した。

                  2009年、作業終了時。この姿で2010年までひと冬越す私たちのドリームハ
                  2009年、作業終了時。
                  この姿で2010年までひと冬越す私たちのドリームハウス

                  ヨーナスの本職はオーレのコック。オーレはスウェーデンでも人気のスキー場だが、夏はダウンヒルバイクや水辺のアクティビティに集まる観光客も冬ほどではなく、スキー場のレストランも閉店してしまう。そのため彼は夏場タイル職人として働いているのだが、今年は2カ月を私たちのために提供してくれるという。自分たちだけで働いていたときはなんだかんだ理由をつけてフィーカ(スウェーデンでお茶することをFikaという)ばかりしていたような気もするが、人を雇うとなると「ちょっと疲れた」とか「天気がいいから釣りに行こう」といって休むわけにはいかないくなる。

                  彼の存在は休む言い訳をしないような状況を作ってくれたし、本職の大工ではないけれどちょっとした会話の中から仕事の手順や方法について夫もインスピレーションを得られたり、煮詰まったときには気分転換にもなって、一石五鳥くらいの役割を発揮してくれたのだった。

                   さて実作業。まず、煙突はコンクリートでベースを造りその上にセメントをつなぎにしてレンガを積んでいく。煙突が傾かないように水準器を使って各辺の水平を維持しながらの作業。レンガは古い煙突から使えるものは活用し、たりない分だけ買いたした。というのも屋内部分は仕上げに薄いコンクリートでレンガを覆ってしまうのでレンガの見た目は関係ないのだ。ただ、屋根から出ている部分は非常に目立つので新品レンガでエレガントに仕上げた。

                   私の仕事はアシスタント。セメントやレンガ運び、セメントを混ぜる機械を洗ったり、たまにはレンガを積んでみたりなどなど。レンガひとつは片手でも楽に運べる重さだけれど、つかんで運んで持ち上げてを長い期間繰り返していたら、ひじの内側がキーンと痛くなってきた。どうやら俗に言うテニスエルボーになったらしい。

                  煙突を造る。レンガを積み、中には煙突本体の管と換気用のパイプを配管。すき間には軽石を。屋内部分は薄いセメントでレンガを覆う
                  煙突を造る。レンガを積み、中には煙突本体の管と換気用のパイプを配管。すき間には軽石を。屋内部分は薄いセメントでレンガを覆う

                   そして、屋根。まずは撤去作業から開始。アスベストのプレートを壊さないようにはずし、地上に運搬。その下に隠れていた昔の木を使った屋根を取り除き、ベースの骨組みを残した。屋根を高くするための材木、ビニールシート、ねじをとめるための横木を追加してプロート(金属)製の屋根を取りつける準備が整った。屋根の資材は色と長さを決め、雨どいやネジなどの備品も含めてフィンランドの会社にオーダーした。

                  地上から5.2mの金属板を傷つけないように持ち上げるのは体力と集中力のいる作業だ。夫とヨーナスは鳶職(とびしょく)顔負けの身のこなしで屋根の上を渡っていく。それを横目に見ながら、私は雨どいを取りつける材木のペンキ塗り。ペンキは家の外観の一部にも塗る色なので慎重に吟味した。

                  屋根壊す。家のまわりは廃材の山。屋根を取り除くと新品の煙突が誇らしげに登場した
                  屋根壊す。家のまわりは廃材の山。屋根を取り除くと新品の煙突が誇らしげに登場した

                  5.2mの長いプロートをひとつずつはめ、ねじ止めする。高い屋根の上なので慎重に。雨の日は滑りやすいので屋根の作業は中止
                  5.2mの長いプロートをひとつずつはめ、ねじ止めする。高い屋根の上なので慎重に。雨の日は滑りやすいので屋根の作業は中止

                   屋根が仕上がるとふたりは窓の交換に着手した。この窓は熱効率を考えたガラスを使った二重窓。こちらは窓枠のサイズに合わせて微調整をしてくれるというポーランドの会社から購入した。

                  古い窓ガラスは現代のタイプのようにスムースではなく波打っているのが特徴で、そのノスタルジックな風合いを好む人も多い。寒さ対策のために古い窓を使い続けることはできないけれど、捨ててしまうのは心残りと考えた私たち。ネットで「どなたかいりませんか」と発信したら、古い家を改装している人が「ぜひぜひ」とトレーラーを引いてやってきた。「リユースバンザイ!」である。

                   窓は木片を(支って はさんで あてがって)水平になるようにボルトで設置。まだまだその他家造り作業は続くので窓枠やガラスを傷つけないように、すべての窓を内側と外側からビニールで覆った。

                  新しい窓設置完了。保護のためビニールで覆う
                  新しい窓設置完了。保護のためビニールで覆う

                   今年のもうひとつの目標は1階の床をとりのぞくこと。床下が湿気てカビやきのこが生えないよう通風をよくするために、50cmほど床下の土を掘るのだ。床にももれなくオガクズの断熱材が入っていた。袋につめて捨てにいくのにも疲れたので、今回は巨大なブロアーを拝借し裏庭に吸い出した。オガクズの中に混ざっていた細い木や石がホースに詰まって吸い込みが悪くなったときには難儀したものだ。

                  床の下は土。ひんやりとしている。通気をよくするために床下を掘る
                  床の下は土。ひんやりとしている。通気をよくするために床下を掘る

                  この床材は厚く質がよかったので夫の兄が移築して手直ししているログハウスの床へともらわれていった。廃材として燃やしてしまえばそれまでだけれど、どこかで誰かに気にいられて使われているのはとてもうれしい気分。

                   魚釣り、友人たちとのバーベキュー、芝刈り、オークション巡りなどなど、短い夏にするべきことはたくさんあるので、2009年の改築作業はここまでとした。


                  ≪田中ティナ/プロフィール≫
                  2004年よりエステルスンド在住。ライター、写真撮影、翻訳業のかたわら、冬はフリースタイルのジャッジとして活動。この夏は年内の引越しを目標に夫の母から譲り受けた古民家を改装中。といっても実態は「かたづけ専門家」。



                  | 『新居は再生古民家〜スウェーデン流〜』/田中ティナ | 03:21 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                  第1回 長〜い夏休みをどう過ごす?
                  0
                    不定期連載「バンクーバー暮らしの歳時記」
                    文:ふじき みきこ

                    ティーンになると外遊びをあまりしない。サマーキャンプも14歳までというものが多いし、興味がなくなるので、参加しない。学校で部活動があるわけでもない。夏休みの宿題もない。ないない尽くしだ。そこで、テレビを見たり、ゲームをしたりで、夜遅くまで起きている。夜更かしをすると当然、起きるのはお昼近く。けじめのない生活も少しの間なら我慢できても、2ヶ月となると長い。そのため、「今年は早めに対策を練らなきゃ!」と年明けごろから夫と話しあってきた。

                    まず、最初に考えたのが、カデットキャンプだ。カデットは、カナダ軍人の候補生としてトレーニングを受けている12歳から18歳の青少年のことだ。ただし、参加したからといって、将来必ず入隊しなければいけないというわけではない。広報活動の一環だ。

                    日本でも自衛隊が夏休みに青少年向けに隊内生活体験を行っているようだが、カナダのカデットは、年間を通して活動している。去年、カデットを卒業した姪曰く、内容は体育の授業のようなもので、プラス規律やリーダーシップについて学ぶことができる。一番の魅力は、夏のキャンプに参加するとお金をもらえるので、姪はアルバイト感覚でやってきた。

                    息子に聞いたら、「やってみようかな」ということだったので、1月の半ばに申し込みに行った。しかし、夏のキャンプは人気で、年末で既に締め切っていた。カデットは素晴らしいと、姪から勧められていたものの、軍活動に息子を参加させることに、多少躊躇があったので、諦めることにした。

                    次に考えたのは、アルバイトと夏期講習だ。アルバイトについては、息子は私たちに対して借金がある。どうせ、暇にしているのだから、お金儲けをしてほしいと考えた。

                    アイスホッケーをしているので、シーズン中の秋から冬にかけては、審判のアルバイトがあるが、春からは働いていなかった。求人の張り紙を探すのだが、見かけないので、ファーストフードの店で聞いたそうだ。夏のアルバイト募集は5月からで、ウェブサイトの求人のページから応募すればよいという。

                    張り切って数社に応募しておいたが、全く連絡なし。履歴書を持ち込んでおいた日本食レストランから電話があったが、15歳という年齢を聞いて不採用。簡単に仕事は見つからない。夏休みが始まる直前に、何とか週末のみ、アイスホッケーの審判の仕事を得た。

                    夏期講習のほうは、塾などではなく、教育委員会によるものだ。単位を落とした生徒や、イマイチ成績が悪かったという子ども、あるいは次の学年分を予習がわりに勉強したいなど、さまざまな理由で受講が可能だという。期間は7月第一週からほぼ1ヵ月間で、主要5教科と音楽から選択できる。息子は単位を落としはしなかったが、得意なはずの数学の成績が芳しくなかったので、説得して受講してもらった。

                    講習が終わると、夏休みのほぼ半分が終了。オンタリオ州への旅行と週末のアルバイト以外は、のんびり過ごしている。

                    受験がないカナダでは、夏は何もしないで遊んで過ごすことをモットーにしている家庭もある。せっかくの夏休みに勉強させるのは親のエゴかと思ったり、可哀想な気もしたが、15歳の夏は一度きりだ。特別なことをしなくてもいいが、有意義に過ごして欲しい。

                    新学期まであと2週間だ。もうすぐ夏が終わる。

                    ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

                    バンクーバーの夏は、ブルーベリーやラズベリー、ブラックベリーなど、ベリー類が美味しい。ベリー15歳ともなると、家族と一緒にビーチやハイキングに行く際にはついてきてくれないが、食いしん坊なのでベリー摘みには来てくれる。農場で大量に摘んできたベリーは、そのまま食べたり、マフィンやスコーン、パイを作る。最近凝っているのは、クラムパイ。丸型のパイシートを使うとあっという間にできる。

                    レシピ
                    ベリークラムパイ
                    パイ


                    材料
                    丸型パイシート(パイシェル)

                    中身
                    グラニュー糖 3/4C 
                    小麦粉 1/3C
                    レモン汁 小さじ2
                    ブルーベリーやラズベリー、ブラックベリーなど 5C

                    トッピング
                    ブラウンシュガー 2/3 C
                    オーツ麦(オートミール) 3/4C
                    小麦粉 1/2C
                    バター 大さじ6

                    1.パイシートをパイ皿に敷く
                    2.中身の材料を混ぜて、パイシートに載せる
                    3.トッピングのバター以外をよく混ぜた後、フォークなどで、バターを切りこんでいく
                    4.ベリーの上にまんべんなく伸ばす。
                    5.190度のオーブンで40分焼く

                    中身とトッピングはカナダの9インチ(約23センチ)サイズのパイシェル用。このレシピは基本で、私は糖分を少し控え、その分、小麦粉など粉類を多めにする。

                    ≪ふじき・みきこ/プロフィール≫
                    バンクーバー在住のフリーランスライター。ティーンエイジャーとなった息子の行動を中心に、バンクーバーでの生活を、カナダ人のごく普通のメニューとともに紹介していきたい。
                    | 『バンクーバー暮らしの歳時記』/ふじき みきこ | 00:03 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                    第3回 双子ちゃん、共に!
                    0
                      不定期連載 「ナマステ!マサラ香るネパール」
                      文:うえのともこ(ネパール・カトマンズ)

                       
                       兄嫁の弟夫妻に双子の赤ちゃんが生まれたと聞いて首をかしげた。2ヶ月前にカトマンズの隣接郡の村を訪ねたときに会った奥さんは、いつもと変わらず、妊娠している様子ではなかったし、1年位前、彼女が出産直前だったところを死産したと聞いていたので、元気な姿を見て安堵したばかりだったのだ。死産した当時は、母体も危険な状態で、しかも赤ちゃんは夫妻が望んでいた男の子だったということで、心身ともに一層ダメージが大きく、悲しみに沈んだことは容易に察することができた。そんな経緯もあって、さして月日が経っていない時の突然の出産報告は私にとって寝耳に水だった。

                       今回誕生したのは男女の双子で、1ヵ月半もの早産になったため、二人合わせても3,000gに満たない未熟児だ。村からカトマンズに車で搬送され、国立病院で出産したが、独身である夫の末の弟が、妊婦が上京してすぐに、入院の手続きから夜通しの付き添い、金銭面まで全部面倒をみてあげていた。村人がカトマンズに出てくると右も左もわからないので、必ず親戚や知人を頼ることになる。それを手助けすることは、当たり前のことになっている。

                       ネパールでは通常、産後1日で退院する。帝王切開でも長くて3日程。双子ちゃんも例に漏れず、未熟児であっても母子ともにすぐに退院となったのだが、このとき家族内で大きな争議になったという。こともあろうに病院で赤ちゃんの父親が双子の女の子を養子にだす、と言い出したからだ。驚くことに病院の外には、子どもの欲しい人がいつも待ち構えていて、たった今誕生したばかりの赤ちゃんを「ください」「あげます」というやり取りが日常的に行われていると言うではないか。母子手帳もなく、出生届けも適当で、したり、しなかったりの国。いつ、誰が、誰から生まれてきたかなんてことは、まるでどうでもよいことのようだ。

                       夫妻にはすでに娘が4人いる。一番上の子はもう12歳くらいだ。ネパールでは家を継いで、各種宗教儀式を掌り、最終的に親を火葬場に送り出すことができる男の子が生まれることをよしとする風潮が今でも残っているから、待望であった男児は育てるが、これ以上子どもが増えては……、ということだ。農村の大家族の生活が苦しいことは誰もが知っているが、生まれたばかりのこの子を……?父親はすでにどこかの誰かと話を始めてまとまりかけていたらしいが、親戚たちの説得と大反対に押し切られ、断念した形となった。いつもおとなしく控えめな奥さんは「この子は女の子だけど、お父さんに似ていてかわいいわ」と小さく漏らしたそうで、私は胸がぎゅっと締め付けられた。

                       生まれたばかりの赤ちゃんだってこの状況を敏感に感じとっているはずで、不安の境地に立たされていたに違いない。もちろん夫妻だって生活に余裕があるならば、赤ちゃんを手放すなんてことはしたくないに決まっている。おめでたく幸せなはずのお誕生の瞬間直後にこんなことって!?全く聞くに忍びない話だ。

                       そしてもし、ここで合意が成立して赤ちゃんを手放すことになったとしたら、書類を交わすとか、お互いの身元を明かすなどということも一切しないから、もう一生涯会えないことになるのだ。大きくなって本当の両親に会いたいという願いは、まず叶えられることはない。もらわれた赤ちゃんが大切に育てられるのならまだしも、もしかして劣悪な環境に置かれるとか、最悪、臓器または人身売買目的だったりする可能性だってなくはない。考えるだけで身震いする。また赤ちゃんが成長して、双子だった妹がどこかにもらわれたことを知った兄は、自責の念に駆られるかもしれない。4人の姉達だってみな物心付いて何でも理解できる歳だ。家族みな悲しい過去を背負って生きることになるに違いない。幸いすんでのところでそれは回避されたのだった。

                       夫妻と生後2日目の双子ちゃんは、すぐにカトマンズから村への悪路3時間の道のりを、乗り合い長距離バスで帰るというので、親戚がせめてタクシーで帰れと制止した。産褥婦と未熟児が暑い最中、乗客でぎゅうぎゅう詰めの車内に閉じ込められ、くねくね道をあちこち止まりながら進むバスに乗るだなんてもってのほかだ。しかし夫妻は懐具合を気にして、乗り合いバスでいいと言い張ったと聞いて、哀切極まりなかった。結局、彼らを義兄が叱るような形になり、タクシーを呼んだそうだが。

                       うちで働く通いのお手伝いさんにも子どもが4人いる。上二人は女の子、一番下が男女の双子だったため、男の子だけを手元において、女の子は離れて暮らしているから、こんなケースはごくありふれたネパール……。

                       この双子の赤ちゃんと家族が、貧しくても苦しくても、みんなで力を合わせて元気に生きていって欲しいと願うばかりだ。何をしてあげる事もできないけれど、ちょっとでも役に立てるだろうと、次男のベビー服や新品で使わずにおいてあったベビーソックスなんかを引っ張り出してきて、手提げ袋にまとめて準備する私なのだった。この秋村を訪ねたときに一家の笑顔がみられますように。

                      ≪うえのともこ/プロフィール≫
                      岡山県倉敷市出身。ライター。旅行会社にて企画、リサーチ、コーディネート、広報を担当。二人の男の子の母。今回の双子ちゃんの件で、夫と「それならその女の子、うちで引き取るか?」と言う話も挙がった。しかし、一人の人間を育てるということは、ただ食べさせればよいという問題ではない。私にはそんな重大な責務を負うだけのキャパシティーは皆目ないのだった。その後双子ちゃんは、おっぱいをよく飲んで元気に大きくなっているとのこと。旅行者向けの情報を主に扱ったブログ「ネパール子ちゃんのナマステ!旅案内」も好評発信中!、十勝毎日新聞社の世界のimaを伝えるサイトのリポートも開始しています。



                      | 『ナマステ!マサラ香るネパール』/うえのともこ | 00:03 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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