「地球はとっても丸い」プロジェクトの面々が心を込めてお届けしたエッセイです。
第1話 キスの嵐の中で幸福/(河合妙子)
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    地球丸寄港

    リレー連載『地球丸寄港』
    文:河合妙子(スペイン・トレド)


    スペイン・トレド

     近年でも稀な寒波に見舞われている欧州で私が直撃を受けたのは、自分にとっての温かい生活と幸福論の見直しだ。東京を出た後、台北の留学先での留学生仲間だった欧州人の連れにしがみつき、がむしゃらに生きてきたのが、2008年大みそかまでの10年。その翌日、つまり2009年元旦、私は自分ひとりのアパートを持ち、近所ではあるが、彼の元から移動した。

    スペイン・トレド

    スペイン・トレド

     理由はさまざまあるけれど、そのひとつは、スペインに対する気持ちが二人とも大きく違ってしまったから。彼は手元にたまっている仕事を片づけたら、一刻も早くこの国を出たいと考えている。一方、現地の友達が増え、いつも楽しい誘いを受ける私は、ここを離れたくないと思っている。ある日、「もう他の国に住むの、いやだな」とぽつりと言ったら、「まさか、友達と一緒にいるために、俺との将来を壊すつもりはないよな」と念を押された。私は答えられなかった。そういうちょっとした擦れ違いが、見えないほこりのように重なっていき、いつしか、愛が湧き出るはずの泉にふたをしてしまったのかもしれない。長い人生、そういうことも多々あると思う。「リセット」という言葉がちょうどいいように感じている。

    スペイン・トレド

     私がスペイン人を面白いと思い始めたのは、住んで2年目の頃だった。生ハムとチーズを買おうと、スーパーでハムとチーズの並んだガラスショーケースの前に立ち、メンブリージョというジャムについて店員に聞いていたとき、「チーズにつけて食べるのよ」と誰かが横から声を投げた。彫りの深い顔に豊かな髪をたたえた妖艶な美女だった。並んで立っていた背の低い老女が「おいしいわよ」と続けた時のこと。「お母さん、イーして」と老女に向かって美女が言い、老女は言われたとおりに口を開いてイーをした。「ほら、お母さん、なんかついてる」と美女は母親の歯を指でこすった。公衆の面前で美女が母親の歯についた食べかすを指で取り除くという光景にすっかり心を奪われてしまった私は、「ここは“ヨーロッパ”という包み紙につつまれているけれど、中身は“ヨーロッパ”じゃないな」と確信した。

    スペイン・トレド

     それが見えてきてから、ペドロ・アルモドバル監督の映画にも寄り添えるようになった。ハリウッドでも活躍する女優ペネロペ・クルスがトイレでおしっこをするシーンや、天然美女のビクトリア・アブリールが路上でベランダを見上げると空から精子が降ってくるシーンに、スペインの醍醐味を今は深く感じる。この国の日常生活には、えげつないけれども人間の本隋を突いた表現や会話が溢れていて、その面白さに取りつかれると、ここから離れがたくなる。私の連れはこの人間臭さや泥臭さを耐えがたいと感じているらしい。

    スペイン・トレド

     奇しくも今年の元旦から私の新生活が始まった。泥臭くも心優しい仲間たちが与えてくれる無限の抱擁とキスの嵐に、温かさと至福を味わう私なのだった。

    ≪河合妙子/プロフィール≫
    河合妙子:フォトグラファー&ライター。西・仏・英・中国語を話し、トレド(スペイン)を拠点に主に欧州、アフリカを取材。最新の仕事は『パリのおさんぽ』、『ロンドンのおさんぽ』(ともに扶桑社)、2月中旬発売予定の雑誌『かわいい生活。』フランス特集(主婦と生活社)など。新生活での楽しみは、これまでゆっくり楽しむ時間がなかった音楽。朝から晩まですきなCDを聞きまくり、久しぶりに椎名林檎の「幸福論」に涙した。飼っているうさぎの、母と息子を私が引き取ります♪
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    第2話 ロサンゼルスの光と影/(伊藤葉子)
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      リレー連載『地球丸寄港』
      地球丸寄港
      文・写真:伊藤葉子(ロサンゼルス在住)

       20年前のこと。最初の夫の留学先がロサンゼルスだった。暮らし始めてみると、まるで天国のようだった。まず気候が最高だ。ちょっとドライブすれば、旅行のパンフレットで見たような椰子の木が見下ろすビーチがある。そこで気軽に波乗りやビーチバレーを楽しむ人達。日本と比べると冗談のような値段でゴルフができる。アパートには、オリンピックサイズのプールとジャクージがあり、いつでも気軽に入れるのだ。垢抜けたショッピングセンターはあるし、人種のるつぼだから安くて本格的なエスニック料理が楽しめる。しかも移民のために、無料で英語を教えてくれるクラスまであるではないか。

      伊藤葉子

       勉強の壁にぶつかった夫は帰国し、私達は離婚した。私は大学に入り直して勉強する決心をした。できればこの国に住みたいと思った。必死に英語を勉強し、カリフォルニア大学に学士編入した。卒業後は地元の新聞社で職を得た。

       私にはいつも非米国人であるための試練があった。1年間合法的に米国で就労できる許可が出るので、この資格で就職したが、結局ビザは延長できなかった。

       ロサンゼルスには不法移民が多く、特にメキシコや中南米からの人が目立つ。知り合いの中には、メキシコから秘密のルートをたどって不法入国し、何年も居座っている人がいた。不法滞在の人に限って、自分の権利を主張していたりする。私は学生ビザを取得し、高い月謝を払い、合法的に滞在し、やっと就労ビザを得た。税金まで払った。それなのに、勝手に入国して住み続けている人達がいるのは、どういことか? 納得できない。私は日本へ帰ることに決めた。もう2度とロサンゼルスには戻らない、と思った。

       東京で就職し、実家でのパラサイトシングル生活を楽しんでいた。ずっと日本にいるはずだった。が、しかし。休暇で5年ぶりにロサンゼルスを訪れた私は、彼に会ってしまった。滞在中毎日彼と会い、最後は私をロサンゼルス国際空港まで送ってくれた。4月に彼と出会い、翌年の3月にはロサンゼルスで結婚式を挙げた。1999年、私はここに、戻って来た。

      ロサンゼルスの光と影

       不法移民は、さらに増加しているようだ。農作物の収穫、建築現場での仕事、レストラン関係、家の掃除、ベビーシッターといった仕事をしながら、国にいる家族に送金している人もいる。日本食レストランの厨房からも、スペイン語が聞こえてくるほどだ。私達が家を購入して内装工事した際、こういった不法滞在のメキシコ人を雇ったことがある。英語がほとんど分からない小柄な男性だった。妻と2人の息子が国で待っていると言って、写真を見せてくれた。そして、安くて美味しいメキシコ料理の店を教えてくれた。

       ロサンゼルスとは、ハリウッドのセレブや太陽の輝くビーチだけではない。光の部分を支えている陰の人達がたくさんいる。今では、スペイン語を話す人のほうが、英語を母国語とする人より多いくらいだ。近所の小学校の説明会では、英語を理解しない親のためにスペイン語の通訳がついた。配布するプリント類は、表が英語で裏がスペイン語だったりする。

       そして私のようなアジア系の移民も増加している。こちらは、“お勉強ができるマジメな人種”のように言われている。優良といわれる公立の学校では、90%がアジア系の子どもで占められていることは珍しくない。アジア系の医師や大学教授も多い。

      ロサンゼルスの光と影

       ロサンゼルスでは、私の夫のような“白人”がむしろ少数派になってきている。私達の2人の息子だって、半分は日本人だ。これからロサンゼルスはどうなって行くのだろう、とふと思う。

      ≪伊藤葉子/プロフィール≫
      1992年にカリフォルニア大学アーバイン校卒業後、地元の新聞社に勤務。99年に再渡米し、夫と新婚生活をヨットで始める。オレンジカウンティ・ビジネスジャーナル新聞社で、日系企業に関する取材記事を英語で執筆。訳書に『免疫バイブル』(WAVE出版)がある。現在は2児の子育てをしながら、学生をしている。
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      第3話 バスク雨のち晴れ/(マイアットかおり)
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        リレー連載『地球丸寄港』
        地球丸寄港
        文:マイアットかおり(フランス・ビアリッツ在住)

         実際に住んでみるまで、かつて「バスク」という国があった、ということすら知らなかった。さらに独自の言語が今でも使われている、ということも知らなかった。フランスとスペインに国が分かれてしまったということも知らなかった。どうもフランスの南にあってスペインの国境近くで、ピーマンがおいしいらしい、ということくらいしか知らずに移住した。移住した理由は簡単、夫の両親が「リタイヤ」する永住の地として選んだから。海辺で、リゾートで、別荘がたくさんあって…夢のような場所と思っていた。

         住んでみると、実にバスクはとても愛着のわく不思議な「国」だった。分裂してしまっても、スペインとフランスに分かれてしまってもバスク人たちは自分たちの文化や言語をしっかりと守り、旗をかかげている。海と山に囲まれているので食料の自給率は高く、料理も独特でおいしい。フランス側では残念ながらバスク語を話す人も少なくなっており、旅行で訪れる場合にはきっとバスク語を聞く機会にはあまり恵まれないのではないかと思うが、スペイン側では日常語。

         何回も占領や分裂、統合を繰り返し、フランコ政権の独裁時代には言語弾圧など悲しい思い出のあるバスク。ザビエル、ピカソ、モーリス・ラベルもバスク出身。長い歴史は非常に興味深く、書物や物語も独特で面白い。こんなすばらしいバスクに住めるなんて、なんて幸せなのだろう…。

        バスク

         ところが、バスクはピレネー山脈の麓で海に面しているため、湿気が多い。さらに山脈のおかげで天候が悪い。年間の降雨量はフランス全土でも非常に多く、日照時間も短い。これがまったくもって玉に瑕なのだ。つい最近もひどい暴風雨に見舞われて停電一週間というひどい目にあったばかり。毎年3月から5月は非常に天気が悪く、雨ばかりである。さらに、つい最近は川があふれてバイヨンヌの中心街が洪水に…災害続き。

         雨が多いと悪評高いイギリス人にも敬遠されるほどなのだ。さらに雨が多いくせにリゾート地だから地価は異常に高い。お金持ちが別荘をたくさん購入しているおかげで市には税金が入ってくるだろうが、冬はほとんどの別荘が空。夏と冬の人口は30%くらい差がある。若者が購入する家はなかなかないか、高すぎる。お年寄りばかりで若い人が少ないという欠点もあるし、観光地なので環境を守るあまりに産業面では弱く、雇用が少ないという面もある。最近では天気に辟易してか、この地を離れる人も多いので子どもが減っているのだとか。

         しかし、日本育ちの私は雨なんぞには負けない。雨降って地固まれとばかりに、不動産の購入をもくろんでいる。どうも渡仏時に比べ、地価が今のところで30%は下がっているらしい。さらにこれからもっと下がるという予想もある。子どもが小さい今購入すれば、15年後には地価も回復するかもしれない。今が買い時と、雨もなんのその、この不況がチャンスとオプティミストを気取ってこのバスク国の不動産購入を楽しんでみたい。

        ≪マイアットかおり/プロフィール≫
        フリーランス翻訳、フリーライター。新潟魚沼市出身。フランス・バスクに住んではや6年が経とうとしている。Nokia 携帯、iTunes、Microsoft 関連製品をはじめ、さまざまなソフトウェア製品のローカライズを手がける。3ヶ国語環境という負担がのしかかるかわいそうなふたりの子どもたちといつまで経っても覚えの悪い夫の日本語教育に苦戦中。
        バスクについてのブログ :友人とふたりでバスクからのつぶやきをつづっています。
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        第4話 ディスカバリー・トーキョー/(YOSSY)
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          リレー連載『地球丸寄港』
          文・写真:YOSSY(日本・東京在住)
          渋谷
           
           人間は何にでも慣れる動物である、とはよく言ったもので。どんなに刺激的なものや場所でもすぐに慣れてしまい、その驚きや新鮮味は失われてしまうものだ。
          新宿

           東京、という街もそうだ。ここで暮らす者にとっては単なる雑多な場所にしかすぎない。ところがこの街をひと度離れ、他の都市で暮らしてみると。ここは驚きにあふれた何とも刺激的な街、“トーキョー”に様変わりする。東京にいると見えない“トーキョー”を今回はナビゲートしたいと思う。

           まず、最初に驚かされるのが自動販売機の数々だ。ドリンクに始まり、切符、そしてタバコまで! ドリンクのベンディングマシーンなどはアメリカでも見かけることはあるけれど。感動するのはHOTドリンクもあること。しかも冷たいドリンクと同じ一台の機械の中に、だ。それから驚くのがそのおつり。どの自動販売機もお札のおつりが出てくる。一説によるとお札のおつりが出せる自動販売機があるのは日本だけとか。これはまあ治安的な事情によるものだろう。公衆電話でさえすぐに壊されてお金を盗られてしまうような場所とは違って、やはりそれだけ治安がいいということなのだ。

           ニューヨークにいたとき一度ひどい目に遭ったことがあった。34丁目の大きな郵便局に行ったときのこと。切手を一枚買いたいだけだったのだが、窓口には長蛇の列。急いでいた私はふと目にした切手自動販売機に駆け寄った。あいにく細かいお金がなく、$1程度の切符を買うのに$20札を差し込んだ…。ジャラジャラジャラジャラ!! ものすごい騒音が郵便局中に鳴り響いた。スロットマシーンで大当たりでも出したかのように、大変な勢いで膨大な数のコインがおつりとして出てきたのだ。ご存知の方も多いように、アメリカのお金は$1からお札である。実は$1コインというものも存在するのだが、一般的にはあまり出回っていない。自動販売機の数は極端に少ないニューヨーク。切手販売機のおつりとしてぐらいしかこの$1コインが活躍する場所を私は知らないのだけれど、このときはその$1コインすら途中で切れてしまったのだろう。$1の4分の1、25セントにあたる「クォーター」コインも交えての大フィーバー。その数はとうてい持ち運べるものではなく、結局窓口に並んでずっしりとした大量のコインを両替してもらったのは言うまでもない。

           そんな諸外国と比べると、日本の自動販売機の多彩さには驚くばかりだ。

           さて、次は電車。親切&丁寧で多彩な場内アナウンスにも驚く。タイムスケジュールがしっかり表示され、時間にも正確だ。一分でも遅れると“お急ぎのところすみません”と謝ってくれる。「遅延証明書」なんてものの発行もある。きっちり&しっかりの日本人気質を表しているが、“ドアにはさまれないようご注意ください” “お忘れ物のないようご注意下さい”など、当然に思える事もアナウンスで流れたときには思わず笑ってしまった。

           更に驚くのは、世界最悪級の満員ぶりもさることながら、人々の整列乗車ぶり。誰に言われたわけでもない、次の電車のドア位置にあたる白線枠にキッチリと3列で並んでいく。とても素晴らしいことなのだが、さながら鍛えられた軍隊のようで少々不気味に感じたこともあった。

           そしてとても静かな車内。こんなに押し合って密着しているのに、誰も口をきかない。乗下車するときも、「すみません」の一言もなく押される。礼儀がいいのか、悪いのか。音に対しては神経質な日本人だが、他人との接触に対しては無神経。日本に来た外国人も、これが苦手という方が多いようだ。

           けれど一番特記したいのは、日本人のファッションや若者カルチャーのこと。
          東京ファッション

           女性達のヘアやメイク、ファッションに対する意識はとても高く、そのオシャレ技術も高い。バッチリと決めたヘアにメイク、ドレスにハイヒール。「これからPARTYですか?」と思わず訊いてしまいたくなるが、これが彼女達の日常的なファッション。坂や階段も多い東京の街をカツカツと高いヒールで闊歩する。

           コンビニには多くのファッション誌が溢れ、そこには読者モデルと呼ばれる一般の女の子達が登場。どの国にもファッション誌はあるが、たいていプロのモデルが広告主であるブランド服をまとってポージングしているだけ。一般の子がモデルさながらに登場、というのはとても画期的だ。読者モデルやストリートスナップの類のページは若者達にとても人気があり、これが日本のファッションカルチャーを象徴しているように思う。“ハラジュクGIRL”という言葉も世界に知れ渡るようになり、週末ともなれば多くの外国人が、ストリートスナップのために原宿を訪れる。

           “ファッションの先端”とは一般的にパリやニューヨークを指し、もちろんそれは否めないのだが、こんなに一般の人々が多く、深く、ファッションに興味を持っている場所を他に知らない。

           東京はとにかく広い。世界の都市を旅すれば旅するほど、その広さを実感する。銀座、新宿、渋谷…。それぞれに違う顔を持った街がひしめき合い、それぞれの文化を発信する。また、浅草や両国などの“下町”情緒溢れる東京も、やはりその一つ。

           世界を旅して、また新たなトーキョーを発見する。今後もまたどんな発見があるか、とても楽しみである。

          ≪YOSSY(よっしー)/プロフィール≫
          自称、“踊るライター”。ダンサー、ファッションバイヤーとして6年間ニューヨークに滞在後、2004年に帰国。現在は都内でダンサーとして活動する他、ダンススタジオを経営。最近はアジアにも興味をもち、バンコクでもダンスインストラクターとして活動するなど、活動の幅を広げている。

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          第5話 メガシティ東京の別の顔/(長 晃枝)
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            リレー連載『地球丸寄港』
            文・写真:長 晃枝(日本・東京在住)


             東京を知らない、という人はめったにいないだろう。

             世界中のどこへ行っても、大きなホテルのロビーにずらりとかかっている時計のひとつは大概、東京の時刻を指している。ロンドンや、ニューヨークや、パリの時刻を指す時計と並んで。敗戦から60余年、瓦礫の山は超高層ビル群へと変貌し、今や東京は、世界中がそう認める流行の最先端を行く大都市だ。

             しかし、長く東京に住む私でも、改めて「東京はどんなところか?」と聞かれると、とてもひと言では語れない。
            首都高速から望む東京タワー。2008年12月23日に50歳の誕生日を迎えた

             日本の高度成長時代の皮切りとなった東京オリンピックの年に生まれ、東京の発展とともに、その変化を目の当たりにしながら育ち、遡って三代以上この地で生まれ育った江戸っ子であるにも関わらず。東京は、それほどに広く多様だ。

             もちろん、外から見た東京は先進的な大都会だろう。

             アメリカのウィスコンシン州に留学中の長女からのメールには、クラスメイトからどこから来たかと尋ねられて「東京」と答えると、一様に「おお〜」「すげ〜っ」「カッコイイ!」と言われるとあった。しかし「そのクラスメイトたちは、東京がどんなところか知ってるの?」と聞き返すと「そこがビミョー」との返事。特に男子の10人中8人は「チョーすげー車がSHINJUKUとかSHIBUYAをチェイスするんだろ?」という反応らしい。

             娘は、新宿や渋谷などという地名があがるだけ、なかなかだ……と思いつつも、あまりに同じような反応なので、疑問をもって聞いたところ、どうやらそういう映画があったらしい。娘にしてみれば「え〜っそんなの危ないよぉ。大体、渋滞してて町なかでカーチェイスなんてムリムリ!」である。

             私が出張先のアジアの各都市で言われることはまたちょっと違う。もちろん、相手が大人だということもあるが、彼らの関心は、やはり技術や経済。といっても、難しい話ではなく、日本製品のクオリティの高さと、物価の高さについてがほとんど。ぜひ東京に行ってみたいが、物価も高いしすごくお金がかかるだろうと必ず聞かれる。確かに物価は高いが、日本人のもらっている賃金も高い。実際には、収入と支出のバランスから考えれば、東京ばかりがそう物価高で暮らしにくいわけでもないだろうに。こちらから見れば、近年、中国や韓国の都市部には、東京並みの値段の飲食店がある、ということのほうが驚きだ。

             テレビで見た、ヨーロッパからの観光客の若者の意見は、また新鮮だった。東京に来て見たいものは、現代建築だそうである。新宿や六本木に次々と誕生している、モダンな建物が魅力的なのだと。確かに世界で活躍するデザイナーが手がけた斬新な高層ビルは洗練されて美しく、近未来的で非現実的な空間を生み出している。外国人ならみんな伝統的な日本の風景を求めて浅草に向かう……というわけではないのは、よく考えれば当然だが。

             どのイメージも、間違ってはいない。

             しかし、東京都下と呼ばれる23区外の地域には、今も猟ができる森があり、山菜も採れる。都下はもちろん、23区内にも温泉が湧いているし、都心部でも水洗トイレのない暮らしをしている人もいる。

            渋谷駅に新しく設置された岡本太郎の壁画


             これらがいささか極端な例だとしても、副都心である渋谷から数駅、わずか10分以内で着く駅の、すぐ近くに住んでいる私の身の回りの人々の暮らしぶりが、特に都会的なわけでも洗練されているわけでもない。我が家が商店街の中の店舗だからではあるが、娘たちは、学校帰りに顔見知りの店に「ただいま」と声をかけて通るし、向こう三軒両隣の家族の近況ぐらいは、お互い知っていて、時には「作りすぎちゃたの!」と、晩のおかずがご近所を行き来する。そんな日常が今も健在だ。

             もっとも、このあまりにも多種多様な暮らしが、混然と、かつ当然のように共存すること、さまざまな顔を併せもっていることこそが、東京の東京たる所以なのかもしれない。

            ≪長 晃枝(ちょう あきえ)/プロフィール ≫
            東京オリンピックの年に東京に生まれる。呉服屋に嫁ぐも専門知識を求められる店番はつとまらず、フリーランスライターに。旅モノと食べモノをテーマに、胃袋でものを考えつつ、東京を拠点に主にアジアを駆け回る。今年から食いしん坊ブログ「日々是口福」をスタート。
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            第6話 「ただいま」香港/(みゆきりん)
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              リレー連載『地球丸寄港』
              文・写真:みゆき りん(香港・ランタオ島在住)


               いつからだろう、
              飛行機が香港に着陸して、帰ってきた、と思えるようになったのは。
              ヴィクトリア・ピークからの夜景

               それは世界中のパイロットたちを興奮させた、着陸寸前に大きく右折して最終着陸態勢に入る「香港カーブ」で知られる九龍の街中にあるカイタック空港でのことではない。スリルのある着陸やその直後の機内に漂う独特な臭いは、通過地点にしかすぎなかった。航空会社に入社して間もない私は、いつもジャンボ機の最後部の右側ドア席からその着陸を感じていた。窓から見えるのは大きなダブルハピネスのたばこの看板。夜遅くても、雨が降っていても、その黄色く明るい看板を見ると、この街にはいいことが溢れているに違いない、と感じた。

               イギリス植民地である香港が、中国に返還される3年半前のことだった。外国人が多いその会社で同僚と何気なく交わされる会話は

              「いつまで香港にいるつもり?」

              だった。みんなが口ぐちに答えた。

              「返還前かな」

               先が見えず少しナーバスになってはいたものの、いざ何か変われば自分の国へ帰ればいいという保険もあった。

               旅行で訪れた北京の天安門広場には香港返還までの時間がわかるカウントダウン時計が設置されていた。華僑の友人とその前で記念写真を撮っていると、あるおばさんが娘さんらしき少女と近寄ってきた。少しだけ北京語がわかる友人が通訳してくれた。私たちが香港から来た事を知ったおばさんは、涙を流しながら握手を求めてきた。

              「やっと1つの国になれてうれしい。北京に来てくれてありがとう」

              と言いながら。一個人として、返還はいいものだと感じるようになった。

               やがて1997年7月1日には返還の花火が上がり、翌年には空港の引っ越しがあった。世界中の航空ファンが最後にその雄姿を一目見ようと、大勢やってきた。私も含め、返還で香港を去ると言ったほとんどのクルーはそのまま居残った。チェックラップコック新空港への引っ越しの前日、クルーにとってもお客さんにとっても最後のカイタック空港への着陸をコックピットから見守った。着陸直前、眼下に広がる古い建物から活力を感じたが、エネルギッシュな街はまだ通過する場所だった。
              文武廟の線香

               フライトが終わると、家には帰らずに1時間後には他の目的地へ飛び立つ飛行機に乗り、数日間バックパッカーに変身していた。それが7年たって香港の永住権を手にした時くらいからだろうか。香港にいるとホッとすると感じるようになってきた。
              街

               人口700万人がギュウギュウ詰めに暮らしている香港には、いろんな国の人がいる。金融に携わる欧米人、元ブリティッシュアーミーで働いていたネパール人やインド人、住みこみの家政婦としてフィリピンやインドネシアから出稼ぎにきている女性たち。中国大陸からやってくる人もいれば、返還前にカナダやオーストラリアに移住したはずの出戻り香港人もいる。そしてみんな他人のこととなると適度に無関心である。それがたまらなく心地いい。過去も未来も関係なく、現在の自分を受け入れてくれる仲間たち。香港は多くの人にとって通過地点であるから、誰もが「今」だけをみつめて生きているのではないだろうか。

               朝ジョギングしていると手を振ってくれるバスの運転手さん、日本の祖父宛の手紙の切手をビューティフルなものにと時間をかけて選んでくれる郵便局のお兄ちゃん、わざとたくさん作っておすそ分けしてくれるお隣さん。故郷とよべる場所がなかった私にも、やっと「家」とよべる場所ができたような気がする。たとえそれが一時的なものであったとしても。

               相変わらずさまよいグセはぬけないが、空港のあるランタオ島の山が見えてくるとどこか落ち着く。

              「みなさま、当機はただいま香港チェックラップコック空港に到着しました」

              という機内アナウンスを耳にすると、心の中でつぶやく。

              「ただいま」


              ≪みゆきりん/プロフィール≫
              香港在住16年。転勤族の父に連れられ、いつも「転校生」だった小・中学校時代。大学時代はハワイへ留学し、卒業後は航空会社に勤める。現在は幼児2人を連れてさまよう、子連れバックパッカー。
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              第7話 少しずつ好きになっていくハワイ
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                リレー連載『地球丸寄港』
                文・写真:堀内章子(アメリカ合衆国・ホノルル在住)

                ハワイ

                 主人の家族の諸事情により2007年7月より家族4人でホノルルに移ってきた。そもそも主人の転勤で、過去10年以上シンガポール、サンフランシスコ、東京を渡り歩いてきた。 私自身東京にいても外資系で外国企業相手に仕事をすることが多く、またシンガポールやサンフランシスコでもアメリカ人の同僚やシンガポール人や他のアジア人と働くこともあり、日本人でありながら、常に英語圏での仕事に興味を持っていたのは事実だ。長女の出産を機に、前々から知り合いだった日経BP社や、婦人公論の編集者からライターの仕事をいただき“書く”仕事を始めたのは、もう10年以上前となる。現在は、企画編集とライター、そして日本向け市場のマーケティングコンサルタントの3足のワラジ状態である。

                ハワイ

                  さて、移ってきたハワイ。主人の実家があるので、もう30回以上は来ていただろうか。とはいえ、ハワイに住むのは今回が初めてであり、変な話、少しずつハワイが好きになってきている。私がハワイを初めて訪れたのは大学3年の時。西海岸から帰国途中、ストップオーバーした数日間。ハワイの風がコナウィンド(つまり風があまりない時期)で蒸し暑い時期の9月に行ったことと、車がないためその炎天下の中ひたすら歩いたことで、あまりいい印象をもっていないことは事実であった。ワイキキを歩けば、日本語が飛び交い、ここは本当にアメリカなのだろうか?という印象さえ抱いた。20代の私にとって、ハワイはそんな場所であった。

                ハワイ

                 2007年7月、家族でホノルルに住み始めて、そんなハワイの印象が少しずつ変わり始めてきている。それは、サンフランシスコやロスに住んでいたときには感じなかったローカルの人の親しみやすさが大きな一因を占めている。学校で会うママや、公園でばったり会う人も皆笑顔が絶えない。日本人である私が、白人にローカルと間違えられいろいろ聞かれることが多々ある。 ハワイは白人、日系人、アジア系など多様な人種がともに暮らしている。どの人種もマジョリティではなくマイノリティの集まりといった、アメリカでも独特の州という背景からか、人々はお互いを思いやり、観光客にも優しい。それが40代の今の私には、非常に心地よい。仕事でも、学校行事でも、あまり外国人と意識されず、ハワイに住む一人として扱われるためもあるであろう。

                ハワイ

                 またハワイは山と海に囲まれ、ヒプノテラピスト(催眠療法士)の友人曰く、“気”のよい場所ということ。そのせいなのか、人々も朗らかな人が多い。まぁ、これには善し悪しがあるが(笑)……。レインボーステートといわれるほど、虹をよく見かけることもでき、夜になれば、東京の空とは全然違うきれいな星空を眺めることもできる。そして天気のよい日は本当に清々しい気持ちにさせてくれる。日本人に人気のある“ハワイ”が見えてきた。

                 その一方、単に自分が年をとったからかもしれないが、最近素直に、“日本”の良さを感じ始めているのも事実である。20代のとんがった自分から少しずつ丸くなり、ハワイから眺める東京が時々すごく懐かしく感じている。

                ≪堀内章子(ほりうち しょうこ)/プロフィール≫
                大学卒業後、外資系の広報代理店に勤務。その後シンガポール、サンフランシスコに在住。2001年より再び東京に。二人の子育てのため、会社員よりフリーランス、そして独立。現在は編集企画、ライター、日本向けのマーケティング/PRコンサルタントとして東京とハワイを往復中。
                | 『地球丸寄港』/メンバーによるリレー連載 | 00:02 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
                第8話 馬が人より多い村
                0
                  リレー連載『地球丸寄港』
                  文・写真:ツムトーベル由起江 (ドイツ・キール近郊在住)

                  シューンホルストのワッペン

                   ドイツ北部シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州の州都キールから車で20分の小さな村、シューンホルストに暮らしている。引越し当初から「あっちこっちに馬がいるなぁ」と思ってはいたが、村長さんいわく、人口より馬の数のほうが多いのである。一軒家に続くさして大きくもない庭で数頭が駆け回っていることもあるし、隣人のように広い放牧場を持ち、馬主と契約して厩舎などを貸していることもある。我が家の庭の真ん前に放牧場が広がっているので、うちの子供たちはヨチヨチ歩きの頃から、馬を間近に見ながら育っている。馬たちがのんびり草をはむところや軽快にギャロップするところだけでなく、気が合わなくてけんかするところ、病気になって倒れるところも目の当たりにし、彼らなりにいろんなことを学んでいるようだ。

                  馬が人より多い村
                   
                   住んでいる州の名前を答えると、日本では「ああ、乳牛のホルスタイン?」と言われることが多いが、馬の世界では、耐久性があり乗馬によく使われるのがホルシュタイン(ホルスタイン)種なのだそうで、原産地がまさにここ、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州なのだ。ホルシュタイン種馬協会に勤務している友人によれば、日本から種馬の注文を受けることもあるそうだ。バルト海と北海にはさまれたドイツで一番低い、そして平たい土地ということもあり、広い放牧場や乗馬用運動場を持つのに適した地方なのだろう。

                   100年ほど前に大農園が売りに出した広大な土地を購入したのが、たまたま馬飼育協会と乗馬学校だった。そんな何の変哲もないきっかけで「馬の村」になったシューンホルストだが、人口たった300人あまりの田舎の村に訪れる人の数は多い。隣人のように元農家の利点を活かして広い土地に牧草地と厩舎を持つ者のところへは、キールの街中に住む人が自分の馬の世話をするため毎日通ってくる。小さい村の中に3つもある乗馬学校にも、遠くの町から親の運転する車で大勢レッスンにやってくる。ドイツの女の子たちに人気の習い事ナンバーワンが乗馬というのも、ここの乗馬学校の繁盛ぶりを見ればうなずける。休暇に乗馬を楽しみたい人のための厩舎付民宿を経営する人もいて、何週間か長期滞在していく海外からの来訪者もよく見かける。村の収入源として馬の果たす役割は大きいようだ。

                  馬が人より多い村

                   これだけ多くの馬がいれば、村の中で起きるトラブルにも馬が関係してくる。馬と車の接触事故があった、散歩中の馬が子どもの大声に驚いて飛び上がり、子どもがけがをした、馬糞が門の前に落ちていて文句を言ったら口論になった・・・・・・などなど、都会に住んでいれば聞くことのない話題にあふれている。村もある程度の対策はとっており、写真のように「馬も通行する道路」や、「自然遊歩道での乗馬禁止」、「乗馬用遊歩道」などの標識をあちこちにたてている。馬を飼っている人たちも、自主的に「馬に餌をあたえないで」「柵には電流が流れています、ご注意!」といった看板を掲げている。

                  馬とともに育つ子どもたち?

                   私たち夫婦が乗馬をしないのと、2年生の息子は他のスポーツに精を出しているのとで、うちの家族はまだ馬とあまりお近づきになれていない。毎年初夏に乗馬学校などが主催する「乗馬大会」でポニーに乗らせたり、「馬車レース」を沿道で応援したりする程度だ。でも、そろそろ5歳の娘が乗馬に興味を示し出した。レッスンを始めると、専用ヘルメット、ブーツ、鞭などそろえなければならないものも多く、そのうち馬を購入……なんて話に発展しそうで、親のほうは二の足を踏んでいたのだ。でも、娘がほうきにまたがって「ギャロップ!ギャロップ!」と叫びながら庭を走り回っているのを見ると、そろそろ新たな挑戦の時かとも思う。今年はうちも馬の村で「馬デビュー」となりそうである。

                  ≪ツムトーベル由起江/プロフィール≫
                  1999年よりドイツ在住。4年前より、ドイツ人の夫と7歳の息子、5歳と3歳の娘とともにキール近郊の田舎暮らし。レポート、翻訳、日本語教育を行う。村の昔話を聞いていると飛び出すプラット・ドイチュ(低地ドイツ語)に魅了され、新たな向学心に燃えている。
                  | 『地球丸寄港』/メンバーによるリレー連載 | 00:08 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
                  第9話 地図にはない共和国
                  0
                    リレー連載『地球丸寄港』
                    文・写真:田中ティナ(スウェーデン・エステルスンド在住)


                     私の第二の故郷は、ヤェムトランド共和国にあるエステルスンド。ご存知の方おられるだろうか? 場所はスウェーデンの中央部やや西側。1963年、時の政府の政策に物申すために「建国」されたそうなのだが、世界地図には載っていない。というのも、あくまでも自称で、正式にはスウェーデン王国のヤェムトランド「県」だからだ。それでも自前の「国旗」や「国歌」もあり、選ばれた大統領もいて、さらに独自の言葉「ヤェムスカ」もあるという徹底振り。シリアスな歴史背景に潜む茶目っ気と遊び心の深さには感心してしまう。

                     歴史的に見てみると中世期、隣のノルウェー領地になったりスウェーデン領になったりと状況がめまぐるしく変わったため、文化的にも両国の影響を受けているという。だからこそ、自分たちのよりどころである「共和国」を誇りに思う、旺盛な独立精神が育まれたのかもしれない。

                     さて、冬でもサーフィンのできる湘南育ちの私がエステルスンドに居を構えるようになったのは、ひとえに相方の生まれ故郷だったからだ。お互いスキーのフリースタイル種目の国際審判だったのが縁。フランスのワールドカップで一緒に仕事をしたのがそもそもの始まりだ。

                     こちらに移ってきた当時、会話の合間に人々が発する息を吸い込む「シュー」という音が気になった。はじめはしゃっくりかしら、などと思っていたのだが、それにしては規則正しく続くわけでもないので一体なんだろうと思っていた。後日、実はその音が相手の言葉に対する返事というか相槌の表現だと聞いて目からウロコ。とくに寒さの厳しい冬、できるだけ口を開けないで意思が伝わるように工夫された、という説にもうなづける。

                     夫と成田空港から電車に乗ったとき、東京都から多摩川を渡って神奈川県に入ったことを告げると、「えええっ。ずーっと建物が続いていたのに、もう次の県に入ったって?」とまったく信じられなかった様子だった。

                     人口がもっとも集中しているストックホルムでも郊外に行けば次の町まで軒並みが続くことはない。ましてや人口約5万8000人規模のエステルスンド。その人口密度は1平方キロメートルに26.5人(2008年資料)だから、町と町の間には家ではない空間、たとえば森や牧草地、場所によっては湖などが広がっている。物理的に人との距離がとれるためか生活のテンポにも余裕があるように感じるのは気のせいだろうか。

                    沈まぬ太陽

                     一年でいちばん日の長い夏至の日。この町の日の出は午前2時50分、日の入りは午後11時17分。天気が良ければ20時間26分ほど太陽が顔を出している計算だ。日がまったく沈まない「白夜」ではないけれど、日没後も西の空はほの明るく、空が濃い群青色になって少し暗くなったかな、と思ったら東の空が白みだす、という具合。その反対が冬至のころ、日がまったく昇らない「極夜」の時季。日の出が9時41分。太陽の軌跡も地平線からひょっこり顔を出したかと思うともう沈みかけ、午後2時18分日没。午後4時には夜空に星が瞬いていることになる。日中でも天気が悪ければどんよりと薄暗い。1年を通してみれば日照時間は日本とも大差がないのかもしれないけれど、夏と冬の極端な昼間の時間差にはなかなか慣れることができない。12月になれば商店街や家々の窓辺にはクリスマス用の装飾電気がきらめき、その明かりが積もった雪に映えて、町全体が明るい雰囲気になるのだが、秋から冬へ駆け足で季節が移ろう11月は雪はちらついても根雪にはなりにくく、町全体が暗い。そのため憂鬱な気分になる人が増える月でもあるという。

                    修理中の家

                     また、プロに頼むと人件費が結構割高なせいか、家の修理や改築など、少々大掛かりなことまで自分たちで気軽に挑戦する人が多い。長い休みがあるから屋根を葺き替えるというような大きなプロジェクトにも集中して取り組めるのだろう。人手が必要なときには、友だちや近所同士で機械を持ち寄り助け合うこともしばしばだ。

                     というわけで、我が家も郊外にある1890年代に建てられた古い家を来年の引越しを目標に改築中。近隣の人たちも初対面ではとっつきにくい印象だったが、一度知り合えば快く手助けしあう間柄。それも適度な距離をとりながらだから心地よい。

                     この町に暮らしてみて見えてきたのは、人々がそれぞれの条件の中でイキイキと生活している、ということ。このところの金融危機で年金の切りつめなども懸念されているが、それでも老後の保障が実感できるから貯蓄は意外と少ないという。稼いだお金は将来のためにすべて貯め込むのではなく、人生を豊かに過ごすために有意義に使うことができるのだろう。
                     さらに、自分たちが払う税金の使い道に敏感で常に政治に注意を払い、物のリユースやリサイクルに積極的に取り組むというような堅実さも見受けられる。
                    食事中?のムース

                     運転中、目の前に巨大なムースが飛び出してきてびっくりすることもあるけれど、身の丈にあった暮らしを楽しむ人々と豊かな自然に包まれた第二の故郷を、もっともっと知りたいと心から思っている。

                    ≪田中ティナ/プロフィール≫
                    東京生まれ湘南育ち。大学では写真を専攻。取材、執筆、撮影業の傍ら、スキーのフリースタイル(モーグルやエアリアル競技)の国際ジャッジ資格を取得。冬は国内大会やワールドカップなど雪を求めて世界あちこちを飛び回る。来年バンクーバーオリンピックもジャッジ予定。

                    | 『地球丸寄港』/メンバーによるリレー連載 | 00:10 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                    第10話 ソロラの居心地
                    0
                      リレー連載『地球丸寄港』
                      文・写真:白石光代(グアテマラ・ソロラ在住)


                       グアテマラは多言語、多民族、多文化の国。公用語スペイン語のほかに23の言語が話されている。21言語は、今からさかのぼること3000年、グアテマラの大地に発祥・繁栄したマヤ文明に起源をもつ。壮大な時の中で育まれてきた伝統文化は、現在もマヤの末裔の人たちによって守られている。そんなグアテマラに訪れる観光客は年間170万人(2008年)。観光業が外貨収入のトップをしめる。
                        
                       私は10年前ボランティアとしてここに来た。現在住んでいるソロラで、子どもたちと2年半花を育てながら暮らした。ボランティアの期間が終わり日本へ帰るとき、「もう一度来るね」とみんなとした約束。それを守ってしまい(?)ここにいる。

                       グアテマラの人たちが通う国立職業訓練学校でガイドの勉強をし、国家試験をクリア。政府公認観光ガイドとして、日本からのお客様といろいろなグアテマラを旅している。主要観光地はもちろん、調査や取材の仕事で、普通の旅では行くことのない場所も、知る機会に恵まれている。「自分たちよりグアテマラに詳しい!」とグアテマラの友人たちは感嘆してくれるが、私の知らないグアテマラはまだまだある。新しい発見や出会い、その一つひとつに感動しながら暮らす毎日だ。

                      グアテマラ

                       そんな中で私が一番幸せを感じるとき。

                       それは、旅が終わり家のあるソロラへと戻る時間。お客様とは、クーラー完備、座り心地もいいデラックスバスで旅をする。けれどソロラへは、グァテバスと呼ばれるローカルバスを使う。鉄道がないためバスが一般的移動手段。アメリカのスクールバスのお下がりなので、座席は子ども用の二人掛けと狭い。そこに恰幅のいい大人が3人、前後には子どもたちがくっついているので車内はいつもギューギューの状態だ。運転手たちは、狭い路地も、カーブが続く山道もすごい勢いで飛ばす。その上バス停がないため、乗客が乗り降りするたびにかけられる急ブレーキに、頭を窓や取っ手にぶつけることはざら、天井に打ちつけられることさえある。閉まらない窓から入ってくる真っ黒な排気ガス、乗っている人などお構いなしにかかっている大音量の音楽。仕事が終わった余韻を、ゆっくり味わう暇などはない。

                      アメリカのスクールバスのお下がり
                       
                       けれどなぜか心地いいのだ。空港のある首都グアテマラシティーからソロラまでは3時間。窓から流れる景色が、首都の高層ビル、ホテル、ショッピングモールから、徐々にトウモロコシ畑、土レンガの家、畑で働く人、放し飼いの馬や豚などに変わっていく。それを見ているだけで嬉しくなる。隣に座っているおばあちゃんに話しかけられ、前の席の子どもたちとにらめっこをし、時間はあっという間に過ぎる。

                       ソロラに着くと荷物をかつぎ家まで歩く。ソロラは、グアテマラが誇る観光地の1つ、アティトラン湖のほとりにある。湖畔にキリストの聖人の名前をとった12の村には、村ごとにことなる民族衣装をまとい暮らす人々がいる。高台にさしかかるとそのアティトラン湖が見えてくる。あまりの美しさに思わず立ち止まる。

                      アティトラン湖

                       すると、「MITSUYO〜!」という声とともにどこからともなく現れる子どもたち。かけよってくると両手で抱きつき、ほっぺに「チュ」とキス(挨拶)をしてくれる。そのあったかさ、かわいらしさ。疲れが安らぎに変っていく。

                       行きかうソロラテコ(ソロラの人たちの愛称)と挨拶を交わしながら歩く。民族衣装に身をつつんだおじさんたちは、うつむき加減に手を上げて。おばあちゃんたちは現地のカクチケル語で挨拶。世界の果てから来たよそ者でしかない私に、ちゃんと声をかけてくれるのだ。

                      ソロラテコ

                      「これからどうするの?」
                      「グアテマラにずっと住むの?」
                      よく聞かれる。
                      いくら考えても分からない。グアテマラで暮らすことが、あまりにもあたりまえで、違和感なくここにいる。
                      特別にすごいものがあるわけではない。ただ子どもたちのむじゃきな笑顔。友だちのあったかい抱擁。それがあれば幸せだと感じてしまう。多くを望まない生活、いろいろな幸せの形を、ここで知った。

                      ソロラの子どもたち

                       ソロラにいると、いつの間にか子どもたちと手をつないでいる。小さな手が持つ大きな力。このあったかい手があるかぎり、私はグアテマラにいるのかなと思う。

                      ソロラの子ども

                      ≪白石みつよ / プロフィール≫1999年よりグアテマラに在住。観光ガイド、通訳、ライター。ソロラで子どもたちの就学支援を目指す「青い空の会」の代表をつとめる。中途半端になっていた織物を習得し、グアテマラに残る村の民族衣装(150種類以上)を少しずつ織っていきたい。
                      | 『地球丸寄港』/メンバーによるリレー連載 | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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