「地球はとっても丸い」プロジェクトの面々が心を込めてお届けしたエッセイです。
心に寄り添うひと-ヘディ
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    私が出会った人々
    文:いそのゆきこ(英国・ケンブリッジ)


     英国の古巣に戻った直後、ヘディは「サヨナラ」の一言を最後に、安らかな寝息と共にあの世へ旅立った。

     ヘディは不思議な能力の持ち主だった。

     子どもを虜にしてしまうのだ。

     ヘディが「踊りましょう」とウィーンの舞踏会のような仕草で手を差し伸べれば、どんなにはにかみ屋でも人見知りする子でも、その手を取ってクルクル回り出し、瞬く間に目を輝かせて、旧知の友人のように嬉々として遊ぶのだ。子どもは本能的にヘディを仲間と意識し、ヘディも子どもと同じ年齢になってしまったかのように振る舞う姿の自然なこと、傍目には全く無意識の行動としか思えない。初対面でも一緒に遊ぶ子どもの表情に一抹の不安もない。ヘディと子どもの笑い声の絶えない光景は平和そのものだった。

     ヘディとの付き合いは20年以上に及んだ。私が子どもを家において出かけなければならなかった時、彼女にお願いしたのだ。子どもの面倒を見てもらったのは2、3回だが、その後もヘディとの交際は続いた。彼女といると、何となく安心し、心が安らぐのだ。ヘディは別にこれと言ったことを話すわけではない。むしろ何も言わずにコーヒーを勧めるだけ。いつの間にか、落ち込んだり淋しかったり、カーッと頭に血が上って怒りを爆発しそうになった時、ヘディの小さなアパートに駆け込んで、コーヒーを啜りながら、ヘディが手ほどきしてくれたスクラブルに興じている自分を発見した。そうしていると、平常心に戻り、日常生活に帰る勇気がわいて来るのだった。

     こんな気持になるのは私だけでないことを知ったのは、ヘディが旅立ったあとだった。ある初老の男性が、ヘディに育てられ、母親以上に彼女を慕い、特に思春期の頃、やるせない思いを抱いてヘディのところに行き、彼女に寄り添っていると、心が和んだ。その後、妻子を連れて里帰りすれば、いの一番にヘディに会いに行った。自分の子や孫にヘディの人柄にもっと接してほしかったと、遠方から弔辞を寄せて来た。質素な葬式だったが、そこに集まったのはみな、ヘディとの別れを心から惜しむ人ばかり。ヘディの虜になったのは、子どもばかりではなかったようだ。

     ヘディは、彼女の元主人のMが「私の奴隷」と呼んでも、いつもにっこり穏やかにかまえていたが、一度だけ、怒りを露にするのを見た。Mが「ヘディはねえ、孤児院育ちでねえ」と私に耳打ちしかけた時だ。「M、そんなこと、言わなくてもいいでしょう。自分が少し金持ちの家に生まれたからって、威張っちゃって。初対面の人に必ずこれを言って得意がる嫌な癖、これさえなかったら、Mはとてもいい女なのに」と、Mのおしゃべりをピタリッと止めたのだ。

     ヘディは一生のほとんどを多くの子どもと過ごしたが、自分の子どもは持たなかった。結婚もしなかった。自分のことを何も言わないヘディに、
    「好きになったひとはいなかったの」
    と聞いてみたことがある。
    「一度だけ。彼はアメリカに亡命して、それっきり」ぽつりと答えて顔を曇らせた。

     ヘディはオーストリアのウィーン生まれの孤児院育ち。両親と姉と親戚はアウシュビッツのガス室に消えた。19歳のヘディは妹と共に、ユダヤ人の子どもたちだけを乗せた輸送船で英国に来た。親から離れ、名前と引き取り人の名が書かれた札を、胸に安全ピンで留められた幼い子どもたちの船中の世話係という名目だった。オーストリアがナチス・ドイツに併合される直前の1938年のことだ。英国到着後ある家の下働きとなったものの、毎日空腹を抱えていた。それをMが奉仕していたユダヤ人援護団体に助けられ、それ以来、乳母として様々な家庭に住み込み多くの子どもの面倒を見て来た、というのがMの説明だ。

     葬式に続くささやかな茶会で、ヘディが最後に乳母として育てたAが話した。Aは7歳を頭に4人の男の子の母親になっている。その子らを連れて、去年までヘディの小さなアパートに泊まりに行っていたと言う。Aの実家は広大な屋敷で、庭には馬場もあって両親は孫のために子馬まで用意して待っているというのに、子どもたちはヘディの小さな部屋の方を好み、椅子や床の上に重なり合って寝るのを喜んだというのだ。

     抗い難い運命の中で味わったヘディの悲しみ、寂しさ、悔しさ、望郷の念、それらをみんな飲み込んで磨き上げたヘディの人格、静かに寄り添うことで、どれだけ多くの人が慰めと安らぎと勇気を与えられたことだろうか。みな、ヘディのおおらかな微笑みに包まれているような気がして、ヘディを偲ぶ思い出話は尽きなかった。

     ヘディは今頃あの世でも子どもたちと夢中で遊んでいるだろうか。

     
    ≪いそのゆきこ/プロフィール≫
    2年の予定が5年になりとっぷり楽しんだニュージーランド・ウェリントンから、英国ケンブリッジの古巣に戻ったのは2009年夏。訪れた太平洋の島々、南半球から眺めた北半球を思い出しながら、英国暮らしを取り戻りつつある。著書: BBC Talk Japanese
    | 『私が出会った人々』/いそのゆきこ | 00:01 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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