「地球はとっても丸い」プロジェクトの面々が心を込めてお届けしたエッセイです。
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第19話 おフランスの裏側でみつけたもの
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    リレー連載『地球丸寄港』
    文・写真:夏樹(フランス・パリ)

     私がフランスに来たのは25歳のときだった。

     単なる観光客であったフランス人の現夫に出会い、ほんの一週間で熱をあげ、一緒に暮らす計画にまで盛り上がったからだ。若くて、呆れるほど向こう見ずだったので、素性のはっきりしない男と一緒に暮らすことに、一抹の疑問も抱かなかった。まともな仕事も地位もなかったし、どうやっても接点をみつけることができなかった親のことは、とうに見捨てていた。どの恋人ともうまくいかなかったから、失うものすらなかった。

     早朝のパリのオルリー空港に着くと、彼の家があるモンマルトルまで行った。車を降りて、石畳の狭い路地の上を見上げたら、6月の空は真っ青で、白い鳩の群れが去っていくところだった。「これからは、いいことがたくさんあるにきまってる!」、そう思った。今でも鮮明に憶えているイメージだ。

    89年から住んでいるアパルトマンの入り口
    89年から住んでいるアパルトマンの入り口

     しかし、「おフランス」はそんなに優しくなかった。とくに、パリの街は甘くはない。日本人留学生に特有な適応障害、「パリ症候群」という症状があるほどだ。

     そのうえ、20数年前の日本のイメージは、びっくりするほど悪かった。一般の人々にとっては、ただのエコノミックアニマルだった。すぐに入った音楽学校では、日本人の音楽家は「テクニックだけに長け、表現が乏しい」が定評だった。バブル期だった日本に対するやっかみと、有力な音楽コンクールで上位をさらっていく日本人に対する嫉妬もあっただろう。言葉ができないから聞き流していると、ますます意地悪を言われた。一目置かれるようになったのは、反論する言語力を備えてからだ。「私はあなたのように考えない」、相手が年上であろうと、社会的地位が自分より目上の人であろうと、この一言を言うことができるようになると、友だちもできるようになった。でも、それまでの道のりは、ほんとうのことを言うと、とても長かった。

    モンマルトルの街並
    モンマルトルの街並

     そんななかで、私を支えたのは、ほかの国からの人々の「違いを怖れない」生き様だった。民俗衣装のまま学校に行ってしまうような子どもたちであり、要らないものはなんでも路上で売って日銭に変えてしまうような、逞しい東欧のおばちゃんであり、小学校の父兄会で「アルファベット読めないから、なんて書いてあるのか説明して」とはっきり言ってのけるママンたちだ。

     「モードの街パリ」は、通りを一本越えると、ハマムがありチャドールを被った女性たちが行き交う北アフリカ人の街角があり、その向こうには赤ちゃんを背中に背負い、頭の上にトウモロコシがたくさん入った容器を載せて、蒸しトウモロコシを売ってあるく黒人女性たちがいる。香辛料の香りが漂っていて、キラキラしたサリーを来た子どもたちが駆け抜けるインド人ばかりの界隈もあれば、中国語しか通じない美容院、薬屋さん、不動産屋が立ち並ぶ地区もある。こんな通りに紛れ込んでとめどもなく歩きまわると、地球を一周して、世界中の元気を貰ったような気分になった。

     現在、18歳未満のフランス人の子どもたちのうちで、母方の祖父母が外国籍という子どもが、全体の4分の1を占める。19世紀末から第一次大戦後は、ヨーロッパ諸国からの移民が相次いだ。50年から60年の好景気の時代には、北アフリカから、現在はブラック・アフリカ、東南アジアからの人々も多い。70年代以降の移民の割合は全人口の7%から8%に落ち着いている。

    シャルロ通り
    フランスで仕事をし税金も払っているのに、正規の滞在許可証が下りない、サン・パピエと呼ばれる人々のアソシエーション前にて。ひとりひとりが、支援する人々と撮った写真が壁一面に張られている。

     ほかのヨーロッパの国々と比較すると、移民の二世、三世、四世といった人々の割合が高く、移民とフランス人間の結婚が多いというのがフランスの特徴だ。また、18世紀のフランス革命以降、フランス領土内で生まれた子どもは、両親が外国人であっても、自動的にフランス国籍をもつ。おのずと「フランス人」のルーツは多様化する。

     最近、地方選挙を目前にひかえた与党が、右翼票を集めるためにか、「フランスのアイデンティティーとは?」という議論を投げかけた。そこに「外国人が多過ぎる」というニュアンスがあるのは明らかだ。

     毛皮を着てマンモスを追っていたころから、人間は、食べ物があり、気候が良い場所に移動していった。今も、それに変わりはない。それぞれ違う文化からやって来た人々でできあがった国、フランスで、いったいどうやって、一言でアイデンティティーを定義することができるというのだろう?

     中学生の息子が家に連れてくる友だちは千差万別だ。両親ともエジプト人のジェレミー、お父さんがモロッコ系のアリ、お母さんがスペイン系のカンタン、ひいおばあちゃんがインド人のサミュエル、おじいちゃんがイタリア人のアルチュール、おばあちゃんがベトナム人のフロラン、そのバラエティーには限りがない。

     国のアイデンティティーなんて、そんな空しい机上の空論はやめよう。その間にも、より良い生活を求めて、サハラ砂漠を一歩一歩、徒歩で北上して来る人々の群れは尽きないのだから。それよりも、違うもの同士が共存できる土壌を耕していきたい。

    ≪夏樹(なつき)/プロフィール≫
    フリーランス・ライター。在仏約20年。パリの日本人コミュニティー誌「ビズ・ビアンエートル」や日本の女性誌に執筆。http://natsukihop.exblog.jp/
     






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