「地球はとっても丸い」プロジェクトの面々が心を込めてお届けしたエッセイです。
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第10回(最終回) ウィリアムと心優しいテロリスト
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    遠くからやって来たパリジェンヌたち

    連載『遠くからやって来たパリジェンヌたち』
    文:夏樹(フランス・パリ)

     最後にパリで会ったとき、ヴィクトールはアルマーニのスーツでめずらしくドレスアップしていた。「バーゲンで買ったんだよ」と小声で言って、ちょっとはにかんだ。「スーツがキマる」というより、50年代の白黒の仏映画に出てくる殺し屋みたいになってしまうところが、彼らしかった。両切り煙草を挟んだ、妙に節くれ立った太い指に、私の心がちょっと揺れた。

     ヴィクトールの両親はスペインから亡命してきた。1939年、スペイン内戦がフランコ将軍の勝利で終わり、同時に独裁政権が始まった時のことだ。敗者となった共和派の人々、約10万人が、2月の真冬のピレネー山脈を歩いて越え、「自由、平等、友愛」をモットーとする隣国フランスに亡命を求めた。

     こともあろうにフランス政府は、国境近くのアルジュレス海岸(注1)の砂浜に強制収容所を作り、そこに彼らを閉じ込めた。予告もなしに大量に押し寄せた隣人たちは、はた迷惑な存在でしかなかったからだ。

     ヴィクトールの両親が最初に授かった赤ちゃんは、当時トイレさえなかった不衛生な収容所で流行った赤痢のために、生後まもなく亡くなった。

     同時に第二次世界大戦の対独戦争に突入していたフランスは、男たちがみな徴兵されてしまったので、労働力を必要としていた。人手不足に悩む雇い主たちはアルジュレス海岸を訪れ、体格が良い男を選ぶために、牛馬市場よろしく鉄条網の向こうに若者たちを並ばせた。彼の両親もこうしてフランスでの仕事を見つけ、終戦後、ヴィクトールが生まれた。

     スペインのなかでも、独自の言語をもつカタルニア地方出身であることを誇りにしていた両親は、フランスで生活しながらも、家庭内ではカタルニア語で話し続け、子どもたちはフランス語で返事をして育った。
    「今だって、カタルニア語は聞いたらわかるけど、話すとたどたどしくなっちゃうんだ。それより、刑務所で習ったスペイン語のほうがうまいよ」

     そう、ヴィクトールの人生は半端ではない。お父さんは、フランコ将軍から「テロリスト」として、欠席裁判で死刑判決を受け、二度とスペインに帰国することができなかった。そして、ヴィクトール自身もムショ帰りのテロリストだから、二代目ということになる。

     フランコ政権は1975年まで続いた。37年間の長いファシスト政権下で、カタルニア地方独立運動は厳しい弾圧を受けた。何度となく血なまぐさい制裁を受けたにも関わらず、その勢いは弱まることがなかった。

     70年代、ヴィクトールはフランスのスペイン国境近くに住みながら、祖国カタルニアの独立運動に参加していた。スペイン警察に追われた仲間がフランスに逃げ込むのを手伝っていた。

     ある日、仲間から呼び出され、車で国境を越え、いつも集会に使っていた農家に行った。

    「でも、その日は、なんか様子が違った。庭に大きな木があって、春だっていうのに小鳥のさえずりがひとつもしなくって、妙に静まりかえっていた。地面に新しいタイヤの痕がついていたから、それも、ちょっとおかしいなって思ったんだ」

     車を降りて農家に向かって歩きだすと、武装した数十人の警官隊に囲まれていた。密告されていたということだ。

     9ヶ月間バルセロナの刑務所に収容され拷問された。

    「取り調べ前に警察署内の机の角に頭から突っ込んで、額を割って自殺する方法があって、そうすれば楽になれるって知っていたけど、できなかった。そんなときでも、命は惜しいもんだよ」
     と言う。イラクのアブガライブ刑務所での米兵による拷問がスキャンダルになったときも、ショックを受けているみんなを尻目に
    「戦争なんだから当然だろ。どこでもやってるよ、あんなこと。知らなかっただけだよ」
     と言ってのけ、微動だもせずに遠い目をしていた。

     しばらく前まで、シングルマザーのサビーヌと暮らしていた。彼女の連れ子ウィリアムにとって、ヴィクトールは「ママンの恋人」でしかないはずだ。しかし、ヴィクトールとサビーヌの間がうまくいかなくなって、二人が別れようとした時、10歳のウィリアムは
    「僕はヴィクトールと暮らす」
     と宣言をした。彼にはバカンスの間だけとはいえ面倒をみてくれる、親権をもつ実の父親がいるのだが……

     それでも、10歳の子どもの頑固さというのは、ときには、法律さえ覆してしまう。結局、ヴィクトールとウィリアムが一緒に暮らして、母親のサビーヌは近くにひとりで住み、時々会うということに決まった。
    「まったく迷惑なガキだ。ベッタリくっつきやがって」
     そう言いながらも、満更ではなさそうだ。血はつながっていなくても、ここまで好かれれば男冥利につきるというものだ。
     
     定年退職したヴィクトールは、パリを引き払ってスペイン国境のすぐ近く、両親が強制収容されていたアルジュレス海岸のすぐ近くに居を構えた。「自分の両親が、吹きっさらしの冬空の下、家畜のように収容されていた場所のすぐ近くに住むの?」そう思った。辛くないのだろうか?

    「俺は骨の随までカタルニア人だからな、スペイン国境近くじゃないと暮らせないんだ」

     でも、それだけではないだろう。血はつながっていないけれども、心がつながってしまったウィリアムを連れて、フランスの不寛容と差別の象徴である強制収容所跡の近くにあえて居を構えることは、彼なりの強烈な、そしてシニックな抗議なのかもしれないと思うのだ。

     「自由、平等、友愛」は自国民同士だけでのはなしで、亡命を求めてきた異邦人には手を貸さなかったフランスへの。

     ちょっと見には、眼光鋭いどこかの組の親分で、チンピラに道を譲られてしまうヴィクトール。いまどきちょっとめずらしい、男気の匂うひとだ。

    (注1)アルジュレス海岸:スペインとの国境近く、地中海沿いにある海岸。夏はリゾート地として、ヨーロッパ中のバカンス客で賑わう。

    ≪夏樹(なつき)/プロフィール≫
    在パリ・フリーライター/最後まで読んでくださったみなさん、御多忙中にもかかわらず校正し、正直な意見をいってくださった編集部のみなさん、どうもありがとうございました。
    | 『遠くからやって来たパリジェンヌたち』/夏樹 | 00:05 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
    いつも楽しくそして心の琴線に触れるエッセーをありがとうございました。またバガージュがいっぱいになったら、続きをお願いします。
    | カイシャ | 2009/03/29 12:16 AM |









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