「地球はとっても丸い」プロジェクトの面々が心を込めてお届けしたエッセイです。
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第16話 飯炊きばあさんの決意
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    リレー連載『地球丸寄港』
    文・写真:いそのゆきこ/(英国・ケンブリッジ)

    キングス・カレッジの夕暮れ

     ケンブリッジは大学の街、今年で創立800年になる。かつては、大学の中に家と店もあるといった感じの街で、植物園もカレッジの庭も誰もが自由に出入り出来た。今では、街全体が博物館化して見学料を取り、車の乗り入れは禁止された。自転車に乗れば事足りる街だが、押し寄せる観光客の波になぎ倒されそう。カレッジは学生のいない休み中、ホテルに早変わりして、万年宿不足緩和に貢献のつもりか、副業に大忙しだ。

    トリニティ・カレッジの通用門

     蔦が絡まり苔むした石や煉瓦の建物内部は昼なお暗い。蝙蝠がキャーッ、キャーッと飛び交う。崩れかかった石塀に怪しき影、石畳にコツッ、コツッと足音が響く幽霊小路は、そのまま残して、黴臭い街をグルッと取り囲むように、明るく軽快な現代建築を満載したサイエンス・パークやインノベーション・センターが次々と誕生したのは、20年ほど前だろうか。そこが世界の最先端技術開発の会社や研究所の拠点となり、直接大学とは関係のない住人も多くなって、近郊の村々にまで深刻な家不足を招いている。

     私は生まれ育った日本の金沢より、英国のケンブリッジの生活の方が長い。確固とした理由でそうしたのではない。なんとなくそうなっただけ。でも、この5年間は留守にしていた。これも、仕事でニュージーランドに行った配偶者からの電話で決めただけのこと。

    「外食に飽きたので、スーパーに行ったら、日本の蕎麦があった。蕎麦の作り方を教えてくれ」
    こうこうして、と私の説明半ばに、
    「えっ、鍋がいるのか」と素っ頓狂な声を上げ、
    「ああ、鍋がない。鍋を買いに行かなきゃ」
    それっきり電話は切れた。この地球の反対側からの一言が、私にニュージーランド行きを決意させたのだ。

     「そんなことで仕事を辞めるなんて馬鹿みたい」
    周囲の人は私の決意に呆れ返り、口を揃えて思い留まるよう諭しながらも、週末まで返上して、私が関わる仕事に協力し、期日まで2ヶ月も早く終わらせてくれた。飯炊きばあさんなど軽蔑しても価値を認めない土地柄なのに、「勇気ある決断ね。私にはとても出来ない」とやたら感心する女もいた。かくして私は、決意から半年後にニュージーランドの土を踏んだ。

     飯炊きばあさんは、いつ、どこにいて何をしていても、私から切り離せないごく自然で当たり前の役割、決意などと大袈裟なことではないが、この小さな誰にでも出来る役割がとても大事に思えて、実行した。南半球にまでくり出して、飯炊きばあさんができることが、嬉しかった。当たり前のことだが、どこにいても常に生活の糧を自分で得ることはつきまとう。その上での楽しい飯炊きばあさんだ。仕事などすぐ見つかると高を括っていたけれど、梃摺った。日本と欧米生活しか知らない私は、南半球で果たす役割や仕事に対する姿勢を大きく変えなければならないことに気づいた。でも、これまで自分がいたところを距離を置いて眺め考えるのは、とても新鮮で発見の連続だった。

    街中を自転車が通る

     5年間はあっと言う間に過ぎ、この夏、ケンブリッジの古巣に戻って来た。キーッと目の前で自転車が止まり、「あら、帰っていたの」と、ヘルメットの下から懐かしい笑顔が現れる。
    「これからどうするの」
    などと立ち話に花が咲く。

    街の外側に建つ現代建築

     古巣に帰るのは、気心知れた旧知に会えていいものだと、つくづく思う今日この頃、ニュージーランドのこと、訪れた太平洋の島々のこと、あれこれ思い出し笑いをしながら、粉を捏ねる飯炊きばあさんの手は弾んでいる。

    ≪いそのゆきこ/プロフィール≫
    生まれも育ちも北陸の金沢。1980年代から英国ケンブリッジで暮らし、2004年からニュージーランド・ウェリントンに行っていて、2009年夏に、再びケンブリッジに戻った。海外在住ライター広場や地球丸に参加して、生活の中で、目にし耳にし肌で感じことを、鉛筆を舐め舐め書いている。著書:BBC Talk Japanese
    | 『地球丸寄港』/メンバーによるリレー連載 | 02:03 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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